背伸びせず、卑屈にもならず。そんな風に書きたひと思ふをとこありけり。
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事案A

新千歳空港で1人の女性が保安検査場の金属探知機検査をすり抜けたことにより、1000人の乗客が再検査することになり、航空機の遅延や欠航が相次いだ。1人の行動が1000人に影響を与える。まさに一騎当千とはこのことで、時代が時代なら、たとえば戦国時代であれば俸禄・知行もストップ高の英雄的人物であったかもしれない。しかし、残念ながら世は平成28年。お盆休みの行楽シーズンの初頭における彼女の行動はある種、テロリズムとまで言える悪質さを言い含まれてニュースで報道された。

同じ日、僕は出張していた。飛行機で1時間。そこから電車で1時間余り。さらに最寄駅から1、2キロ歩いたURの団地内の公園。僕は出張先まで追いかけてくる取引先からの電話に応対していた。携帯電話のない時代であれば、出張に一度出かけてしまえば、オフィスに戻るまでは置いてきた仕事のことはつかの間忘れ、出張先でただハードワークすればよかった。あくまでも目前の仕事に取組みさえすればよかった。

それがどうだろう。携帯電話が生み出された現代社会においては、人々は出先で電話ができるという利便性を享受するとともに、盗撮、出会い系サイト、出張先まで追いかけてくる電話、これらの苦難までもが付随されてしまった。迷惑極まりないこれらの悪辣な付随物は、携帯電話の利便性を享受した人類にとっての諸刃の剣ともいえるもので、禁断の果実とされる知恵の実を口にした人類はその見返りとして苦難を与えられてしまったのだ。科学の進歩が人々に幸福をもたらすと無垢に信じられていた20世紀が過ぎ去って久しい。

そして、その日。僕はオフィスからはるか1000キロ以上離れた地方都市の、そのベッドタウンの集合団地に設けられた公園で携帯電話がもたらした責め苦を受けていた。哀れな僕の携帯電話には、会社からの着信と、そして取引先からの問い合わせ、応答を要する旨を告げる留守番電話が吹き込まれていた。その留守番電話を受ける僕の姿は、苦役列車に押し込められたあわれな旋盤工のように腰をかがめ、頬をそげ落とし、それでいて眼だけはランランとぎらついていた。

なんとしてもこの電話を穏便に済まさねばならぬ。できれば会社に指示を仰ぐようなことにはなりたくない。一度社外に出たら、目的の仕事に集中したいタイプの人間なのだ。出先では出先でしかできない仕事に注力したい。会社に指示を仰ぐということは、その時間は別の用件に思考を奪われることを意味する。それはバッターボックスに立っているのに、目の前でワインドアップで振りかぶっているピッチャーがいるにもかかわらず、今日の晩ごはんは何にしようかしらと悩まなければならないのと同じように、あまりに非生産的で非効率。僕はたいていのほかの人間と同じように、バッターボックスに立ったら目の前のピッチャーに集中したいタイプの人間なのだ。

通りを歩きながら電話を掛けると、通り過ぎるクルマの音で電話が聴き取ることができないため、静かな場所を探すと、すぐ目の前は公園だった。団地の片隅にひっそりとたたずむ小さな公園。ブランコと、鉄棒と、あといくつかの遊具が置いてある。だけど、真夏の昼下がり、この公園にはひとは誰もいなかった。日中、おとなは都会へ行ってしまい、残るのは暇を持て余す老人と子供だけ。あくまでもこの街は静かな街なのだ。

公園のベンチに腰掛けて、取引先の担当者に電話を掛ける。はじめてオフィスの電話を取り次ぐ新入社員のように、僕は必死に電話に食らいつく。用件は?それに対する対応は?僕は、相手に見えるはずもないのに、必死にうなずいてみたり、平伏してみたり、相槌を打つたびに口角を意識して上に上げてみたり。とにかく必死に応対する。なんとしてもこの電話は1回で用件を終わらせてみせる。今週のハイライトが金曜日の午後、僕に訪れていた。

そして。

結果、取引先からの要望のうち、1つは解決した。そしてもう1つは解決しなかった。しかし、来週の月曜での回答で容赦してもらうことにした。

「資料が手元にない以上、正確な回答はできかねます。」

そう言った僕の首すじにはうっすらと汗のしずくが流れていたに違いない。巧拙はともかくとして、僕は取引先からの電話をやり過ごすことができた。先送りともいえるかもしれないが、僕はとにかく目の前の仕事に集中する環境を取り戻すことができた。

電話を終えて気づくと目の前には少女がいた。くりっと見開かれた目と肩まで伸びたストレート。年齢は5才くらいだろうか。通話中は仕事のことで頭を巡らせていたために気づかなかったが、その少女は僕を不思議なものを見るような目でじっとこちらを見ている。いつから僕の目の前にいたのだろうか。

とあるベッドタウンの公園のベンチでスマホ片手に遠く離れた取引先にペコペコと頭を下げる30代のおっさんと、そのおっさんを眺める年端もいかない少女の図。モータリゼーションの進んだ地方都市では、街を歩く人はほとんどいない。たまに街を歩く人がいても退役したじいちゃん・ばあちゃん。そんな街の住宅街の真ん中のURの団地公園。真夏の午後2時。公園にいるのは、僕とその女の子だけ。これが小津安二郎の映画だったら、無理矢理にでも評論家さんが、「現代日本の縮図を切り取った革新的な構図」とか「核家族化が進む社会にあって見出される光と影」とか、取ってつけたようなわけのわからない意味を与えてくれるかもしれない。

女の子は僕の目をじっと見て、「こんにちは」と言った。

僕は、それを受けて「こんにちは」と返した。

おそらくこの女の子は暇を持て余して、遊び相手を探しているのだろう。じっと僕のほうを見続けている。一方の僕は、突然現れた少女に対してどう対応していいのかわからなかった。この1年間で、高校生以下の年代のヒトと会話をした記憶はない。いや、過去5年をさかのぼっても・・・。

「こんにちは」とあいさつをしてきたのが有村架純くらいの年齢であれば、僕も「暑いですね」くらいの時宜を得た会話をつなぐことができたかもしれない。だけど、相手はおそらく幼稚園や保育園の年代の子供であり、僕にはその年代の子供と成立する会話の種類がどんなものかさっぱり見当がつかなかった。僕にはその少女と会話をするコミュニケーション能力がなかった。

それに加えて、僕にはひとつの懸念が脳裏をよぎる。平日の昼下がり。公園にいる30代男性が5才くらいの女の子に話かける絵。これはいわゆる「事案」である。ロリコン趣味の無職男性が少女をいたずら目的で話しかけるという事案である。

ここでは僕の主観、少女の主観は問題にならない。僕にとっては携帯電話で取引先に電話をするために、静かで座りながら書類を広げることができるからという理由で公園のベンチに腰掛けていたところを女の子に話しかけられたという状況である。女の子にとっては、家にいても誰も遊び相手がいないから、公園に出てみたらおじさんがひとりいたから時間つぶしに話しかけてみようという状況である(たぶん)。僕と少女の間になんら事件につながる思考はない。ついでに言うと僕が好んで視聴するアダルトビデオはプレ○テージの「働くオンナ」シリーズであって、ロリコン趣味のレーベルは(ほとんど)見たことがないことも、僕の潔白さの証明になるはずだった。

しかし、この状況を第三者が目撃したとき、この状況はあまり芳しい光景とはいえない。第三者がこの光景をみたら、「事案」を連想することは、2016年の日本においては自然な流れではないだろうか。ご近所づきあいなるものが存在して当然であった20世紀の日本の街角ならいざしらず、ロリコン趣味の男が小学生、中学生を誘拐する事件がたびたび報道される現代日本において、僕が直面した状況は「事案」と解されても不思議ではない状況であった。

僕は、自分が直面する状況に思いを巡らし、この公園を立ち去ることがいま僕がやるべきことであろうと判断した。さきほどの取引先との電話の内容をメモ帳に記録したら、すぐにこの場を立ち去るのだ。そして、少女の気配を感じつつも、僕はメモ帳に電話の内容と、会社に戻ったらやるべきことを記入した。

ふとメモ帳から顔を上げると、少女はもう僕の目の前にいなかった。反応の薄い僕を見限って立ち去ってしまったのか。そう思いあたりを見回すと、意外にも少女はすぐそばにいた。公園の植樹に上り木の枝に腰掛けて、僕を見下ろしていた。その表情は高い木に登れることを誇示して、どこか得意げに見える。

「危なくない?」と、思わず口に出る。

「大丈夫だよ」と、僕を見下ろしながら女の子が答える。

思うに、この女の子はいままでもこうして大人たちに自分が高いところに登れることを自慢してきたに違いない。自分からおとなに声を掛け、反応が薄いと見るや高いところに登り、おとなの気をひく。僕は一連の動作のスムーズさから、この少女の魔性を垣間見た。

それから僕は仕事に戻ることと、この状況を第三者に見られたくないという気持ちにせかされ、その場をそそくさと立ち去った。よほど急がなければならない切羽詰まった事情はなかったけれど、僕はなにかうしろめたさを感じてその場を立ち去った。そのうしろめたさの正体は、期待に応えられなかったことに対する後悔なのかもしれない。

新千歳空港で一騎当千の無双ぶりを発揮した女性のおかげで、これから空港の警備体制がより強化されるかもしれない。子供を誘拐するロリコン連中が無双してくれたおかげで、世の中には「事案」を警戒する見えない空気が醸成されている気がする。

1つの特異な出来事をすべての場合にあてはめて規制が強化されるんだとしたら、僕は息が詰まってしまいそうだよ、マイハニー。

今日の一曲
スピッツ / スピカ
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# by maseda1001 | 2016-08-06 20:47 | Comments(0)

品川に行きたい

品川に行くはずの僕の目の前にやってきた山手線は大崎止まりだった。

人生には往々にしてこういうことがある。取るに足らない、気にも留めていなかったところでのつまずき。あと1駅、たった1駅だけ先に進んでくれるだけで目的地にたどり着くというのに、寸前で道が途絶える。

普通免許のペーパーテストで1問足りなかっただけで、免許を取得できなかったり。あと10円が足りないばかりにトッピングのメンマを付けられなかったり。あと1歩の強引さが足りなかったばかりに、パイパンになることを拒否されたり。

今日の僕は、そういう運命だったんだろう。貧乏くじを引く日。今日は仏滅だったっけ?

それにしても、いくら大崎は2000年代に入って再開発が進んだとはいえ、所詮、大崎は大崎であって。山手線乗降客ランクでは下から数えたほうが早い駅だろう。そして、次の品川といえば新幹線も止まるし、国鉄跡地の高層オフィス群もあるし、僕がはじめてラーメン二郎を食べた場所でもあるし。さらに言うなら10年前に付き合った彼女との最後のデートは品川の水族館だった。これらの事実から推し量るに、大崎よりは品川のほうが格段に駅としてのステータスは上に違いない。

それにもかかわらず、いまどきの山手線は大崎止まり。僕がいくら言っても、品川まで進むことを潔しとしない。車両基地が大崎にあることが大崎止まりの理由になるだろうか。そんな馬鹿な話があっていいのか。それはいわば、それまで散々高速ベロをエンジョイしていたイジリー岡田が、ビキニギャルを目の前にした途端に高速ベロをストップしてしまうようなものではないか。そこで止めてしまったら、一体それまでなぜ高速ベロをしてきたのか、その意味が問われかねない。山手線も同じだ。品川を目前にして大崎で止まり、すごすごと車両基地に帰るようなら、それまでせっかく何周も同じ路線をぐるぐるまわってきたのに、僕にとっては何の意味もない車両になってしまう。

あきらめるなよ!と言いたい。僕は山手線に言いたい。

大崎なんか超えていけ。そんなところでとどまっていいわけないだろう。あきらめてちゃいけない。君は君らしく、行きたいところに行けばいい。やりたいことをやればいい。列を乱すことを恐れるな。ここであきらめてしまったら、君はなんのために生まれたのか?ダイヤなんて乱すためにあるものだ。大崎なんか超えていけ。なんなら、五反田、目黒、恵比寿にも止まらなくていい。君が行きたいところ、それは品川だったはずだ。頼む、お願いだから。品川まで行ってくれ。後生だから。お願いします。

そして僕を待っていたのは無慈悲なる予定調和。山手線は時刻通りに大崎駅に到着し、そして回送列車となり、車庫に向かっていった。蒸し風呂のようにむせかえる暑さのなか、大崎駅のホームに取り残されたのは、やっぱり僕。まぎれもない、この自分。

とりあえず大崎駅のホームの自販機で麦茶を買った。用事のないこの駅のホームの自販機で僕はSuicaで麦茶を買った。麦茶はおいしかった。さすがは、伊藤園。さすがは笑福亭鶴瓶。だてにハゲてない。この味は、大崎で降りなければ味わえなかったかもしれない。そう思うと、僕は伊藤園と鶴瓶に感謝せずにはいられなかったんだ。

そんな1日。

今日の一曲
欅坂46 / サイレントマジョリティ
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# by maseda1001 | 2016-08-03 01:03 | Comments(0)

脳みそがミートボールになる夜

労働に勤しむ給与所得者である僕は、今日も今日とて会社に行った。会社に行ったらパソコンに向かい、ワードやエクセルをとっかえひっかえ、上書きに上書きを重ね、時に新規作成もたしなむ。電話口ではのどごしよくつるりとすり抜ける謙遜と謙譲の繰り返しにお互いがご満悦。お昼はお肉を食べて、おやつにはどこかの地方の名産を。

夜。

夜になると作業は日中とは異なる熱を帯びる。ひとり、黙々と繰り返すインプットとアウトプット。さながら僕はデータを媒介するなにかになる。人間でもなんでもいい。データを適切に取得して、適切な場所にアウトプットをすること。それがやるべきことであって、誰がとか、どうやってなんて問題にはならない。コンピュータでもロボットでも、犬でも、畜生でもなんでもいい。でも、今これをやるのはどうやら僕の番のようで。

僕はデスクに向かう。考える必要はほとんどない。まずは手を動かし、目はページを追うことができれば、あとはほとんど何もいらない。思考はOFFにしていてもかまわない。なんならBGMに耳を傾ける余裕すらある。今夜のBGMは欅坂46の「世界には愛しかない」。もちろん、脳内BGM。

世界には愛しかない
信じるのはそれだけだ
今すぐ僕は君を探しに行こう

誰に反対されても
心の向きは変えられない
それが僕のアイデンティティ


夜の10時30分。ふと気づくと僕の頭蓋骨の中身はミートボールでいっぱいになっていた。溢れんばかりのミートボールが頭の芯にパンパンに詰まっている。そう、僕の脳みそはミートボール。OFFだった思考にスイッチが入り、眼球の奥にピリリと電流が走る。肩は緊張でパンパンだ。疲労がどっと襲う。

一度ONになった思考をOFFにすることは容易ではない。ましてや今の僕の頭の中身はミートボールだ。たたいても何も出てこない。生産を止めてしまったガラクタ工場でしかない。こうなると、ドクターペッパーを飲んでも、リアルゴールドを飲んでも、パクチーサラダを食べてもダメ。どうにもならない。

僕は家に帰ることにした。

仕事は文字通り山積。しかし、ミートボールになってしまったのだから仕方ない。98年のセ・リーグで9回に大魔神が出てきたときの相手チームの心境と同じ。1イニング残っているじゃないか、と人はいうかもしれない。でも、実際のところ試合はもう終わってしまったのだ。僕にはどうしようもない。だって、僕の頭はミートボールでいっぱいになってしまったのだから。

今日の一曲
欅坂46 / 世界には愛しかない
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# by maseda1001 | 2016-08-02 00:10 | Comments(0)

マツダのCM、それから

マツダのCM。

クルマは単なる道具ではない。
ともに走り、ともに歓び、ともに生きていく。
Be a driver.


あのCMを僕が監督・演出するなら、こうなるだろう。

クルマは単なる道具である。
メンテ、税、ガソリンでカネがかかる。車検もカネかかるし、時間も取られる。ドライブしてても疲れるだけだし、なにより交通事故の加害者になるリスクを負ってなにが楽しいんだろう。
Take a taxi.


そんな僕にとって、マツダのあのCMはまったくもって理解不能。外国人、それも白人の美形の若い男女がクルマを運転してイチャイチャしたり、挙句の果てにはクルマに頬ずりまでしちゃって。どこの日本にデミオに乗るミランダ・カーがいるんだろう。

大多数の日本人は渓谷の峠道やら、スカイラインが映える海岸線なんて運転しない。大多数の日本人がクルマに乗る機会といえば、イオンに行くとき。あまたの信号待ちやウィンカー予告なしの割り込み、旧国道の渋滞に耐えてたどり着く週末のイオンでコメと野菜と牛肉を買うために、日本人はクルマに乗るのだ。そこに喜びはない。あるのは作業。最も便宜的、経済的であるという理由で採用される純粋に移動手段として特化された乗り物。

大阪人に広島焼を食べさせてドヤ顔されてもなんだかなあってオチしかない。左の人に産経新聞を、右の人に朝日新聞を見せても、お互いに元巨人のガルベスみたいにカッカするだけだし。パイパン嫌いのひとにパイパンになってほしいと拝み倒しても、断られるのは目に見えている。

クルマに、たんなる移動手段以上の価値を見出す人と、たんなる移動手段としてしか見ない人。宗教観や、政治観の対立のごとく、それはどちらが正しいも悪いもないわけで、お互いがお互いをそっとしておくのが賢いといえるんだろう。それでも僕はあえて言いたい。寝かせた子を起こすような真似をしてまで、あえて言いたい。場末のだれも読まないブログとわかっていてもあえて言いたい。マツダのCMについて書いてきたあとで、言いたい。

大塚商会の「たのメール」のCMは、ほんと勘弁してください。
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# by maseda1001 | 2016-07-31 01:26 | Comments(0)

KOMURA-GAERI

こむら返りである。

昨日の午前10時30分。地球の片隅で、僕はこむら返りに苦しんでいた。こむら返りという奴は、なにかの前兆や予感を伴うことはほとんどなく、突然に僕を襲う。気付いたときにはもう遅い。気付いたときには、僕はこむら返りの痛みのど真ん中で、息を吸うことも忘れるほどの苦しみに悶絶することになる。

今回のこむら返りは左わきの下。脇腹よりは少し上のあたり。脇毛が生えるスイートスポットよりは若干下がったあたり。そこに激痛が走った。それは、顧客に現地を案内してもらう過程で、ワンボックスカーから降車するため、車のドアを左手で開けるという動作をした直後のことだった。

瞬間、激痛が走る。筋肉が脳に強烈なSOS信号を送る。だが僕にはどうしようもできない。こむら返りに襲われた人間は、F6FヘルキャットやF4Uコルセアに襲撃されるゼロ戦21型のように、平和な時間をあきらめるしか術はないのだ。

そして今回はタイミングが悪いことに客先の真っただ中。これがプライベート空間であれば、こむら返りに乗じて悶絶発狂おじさんコンテスト(参加者1名)を開催することもできただろう。
※悶絶発狂おじさんコンテスト:狂ったひとを巧みに演じることができた者を勝者として、その栄誉を称えるコンテスト。優勝賞品は、つかの間の興奮と、熱が醒めたあとの絶望的なまでの後悔。

しかし、あくまでもそのときは日中、しかも客先である。痛みを楽しむ余裕なんてない。僕は断続的に襲ってくるこむら返りに対して、心のなかで叫び、そして表情はあくまでもクールに、それでいてまなじりには情熱を含ませたうえで真摯に。冷や汗はじんわりと額を覆う。

これがフランクネスの本場、米国であれば、「Oh,Komura-Gaeri!!Ouch!!Ouch!!絶望的なまでのKomura-Gaeriが僕を襲う」とかなんとか言って一同爆笑。笑うポイントなんてひとつもないのに、なぜかみんな爆笑の渦にダイブ。ダイブ into the爆笑になるはず。しかし現実にはここは日本。礼節とパイパンを重んじる国、Japan。僕は顧客に自分がこむら返りに襲われていることを打ち明けることができなかった。

そして今回のこむら返りは長丁場。1分、2分?甘い。少なくとも10分。おおげさに書いて読んでる人の関心を惹こうというあざとさを加味すれば、ざっと20分。20分はこむら返りに襲われ続けた。これがマットとローションを専門に扱う特殊技巧の店舗であれば、20分間なにかに襲われることはやぶさかではないが、こむら返りの専門店での20分はちょっと今まで聞いたことがないほど長い。つらい。

僕の冷や汗であっちい地球が冷えっ冷えっになるんじゃないかというくらい、冷や汗を流す。こむら返り恐るべし。

そして、オチは特に無し。眠い。終わり。
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# by maseda1001 | 2016-07-28 01:27 | Comments(0)