背伸びせず、卑屈にもならず。そんな風に書きたひと思ふをとこありけり。
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ぶちまけ日和

仕事始めを控えた前日の夜、台所の清掃をしていた。台所の清掃、と一口で言ったものの、単身世帯、それも独身生活をこじらせた男性の台所である。その風景は推して知るべし。流しのシンク内にはラーメンの残り汁が沈殿するラーメンどんぶりと袋ラーメンを作った際に使用した雪平鍋。あと、冷凍パスタを食べたときに使用した丸皿。そんなんこんなが数日前の食後から放置されている。そして、流し台の調理スペースには、残り汁を満載したカップラーメン容器が山積。その数、少なく見積もっても7、8個。仕事納めから仕事始めに至るまで、酒を飲んではカップラーメンを食べ、酒を飲んでは袋ラーメンを食べ、そしてまた酒を飲んではカップラーメンを食べ。たまに冷凍パスタも食べつつ、また酒を飲んでは袋ラーメンを食べ。まるでなにかの修行のように毎日同じような生活を繰り返し再生していた結果である。台所はラーメンの残り汁が澱のように漂っていた。

とはいえ翌日は仕事始め。欲望のままにシングルライフに耽溺した怠惰な生活に終止符を打ち、社会的動物の1人として資本主義社会の前線にカムバックすることになっている。べつに僕1人いなくとも、この資本主義社会は平穏無事にめぐっていくことは目に見えているが、そこはあえて目をつぶろう。現代資本主義社会の善良な構成員の1人として、翌日から僕は再び仕事に出かける。

休みの日であれば、台所にたまったごみの山は大して気にならないものだけれど、仕事始めの朝くらいは気分よく玄関を出ていきたいという気持ちがある。どうせ始まってしまえば気分がよくなることなど期待できないのだ。1年の初めくらい、1年の初めの朝くらいは気分よく仕事に出かけたいものだ。

というわけで仕事始めを控えた前日の夜。僕は台所の清掃をしていたわけで。残り汁を満載したカップラーメン。カップヌードルしょうゆ味。チキンラーメンどんぶり。ニュータッチのネギらーめん。どん兵衛の鴨ネギそば。そんなこんなが、食べカスと残ったスープをたぷたぷと満載したまま真冬の流し台のうえに所狭しと無造作に置かれた光景は、我ながらグッとくるものがある。「悲しい風景写真コンクール」にこの風景を撮影して送ったら入選してしまうかもしれない。暮れから正月にかけての連日の1人宴会の残滓は、宴会の主役だったはずの僕が見ても悲しい。ほのかに刺激臭を放つネギラーメンのスープが主張するように、一刻も早くこの風景は早く洗い流さなければならなかった。

そして僕は掃除に取りかかる。45リットルのゴミ袋を用意し、三角コーナーにネットをセットし、ラーメンのスープを流しにぶちまける。とにかくぶちまける。そこに思考は必要ない。右手でカップラーメン容器をつかみ、その右手を三角コーナー付近まで移動させ、所定の位置まで来たら右手を傾けて汁を流す。カラになった容器はゴミ袋へ投入。この作業を繰り返す。この作業を10回程度繰り返し、終えた頃には、正月の宴の記憶もきれいに流されてしまっていることだろう。流さなければならない記憶は、排水溝の暗闇へ流し去り、二度と思い出さなければいい。

1つ目のカップラーメンの容器、ネギらーめんの容器を手に取る。ネギらーめんを食べたのは何日前だろうか。スープの脂分が黄色く変色している状態から判断するに、去年食べたものだろう。そんなことを思いながら、容器をつかんだその刹那、僕の手元に狂いが生じた。つかんだはずの容器のふちはおもいのほかなめらかで、スムーズだった。カップラーメンの容器はするりと僕の手元から逃げるように落下した。きれいに180度ひっくりかえって回転し、フローリングの床に落下。結果、スープや麺のカス、赤唐辛子の輪切りがフローリングにぶちまけられた。

なんということでしょう。

僕は掃除をするつもりが、余計に部屋を汚くしてしまった。なんたる失態。なんたる不始末。パイパンにしようと意気込んで安全カミソリを用意したものの、剃毛に失敗し恥部を血まみれにしてしまうようなもので。正月早々、カップラーメンの汁を床にぶちまけてしまうとは。先日、セブンイレブンのホイコーロー弁当の汁を敷布団にぶちまけたときもショックだったけれど、今回の件もショック。

そうそう、ショックと言えば、実家に帰省して「お前にも嫁がいればなあ」と言われた。いままで嫁のヨの字も話題に出してこなかった父親に言われた。これもショックだった。あなたの息子に嫁がいないのはあなたの教育・しつけのたまものでしょうねって言うべきだっただろうか。

床にぶちまけたラーメンの汁を清掃して、仕事始めに備えよう。

今日の一曲
ゆいちゃんず / 渋谷川

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# by maseda1001 | 2017-01-04 23:38 | Comments(0)

ふとん

僕の部屋にはベッドがない。シングル向けの賃貸マンション、床はフローリング。ならばベッドが置いてあってよさそうなものだけれども。ベッドはない。学生時代の1人暮らしのときに西友で買った安いパイプベッドは会社の独身寮に入るときに処分してしまった。そして備え付けのベッドがあった独身寮から逃げるように出てきて以来、フローリングに敷くせんべい布団で寝起きをしている。

今現在使用している寝具は5年くらい前にニトリで買ったやつで、掛布団・敷布団・まくらがセットになって数千円程度のやつ。リーズナブルな価格にそれなりの機能性。寝心地は価格から推して知るべし、と言いたいところだが、高級寝具で寝泊まりした記憶があまりない僕にとって、この数千円のニトリの寝具は十分なものだ。この布団で寝起きをし始めてからもう5年も経過しているのだ。馴染んだ。慣れ親しんだ。べつにほかの布団に乗り換えたいという気持ちも起こらない。

布団ってものは不思議なものだと思うことがある。出張でビジネスホテルに泊まるとき、「寝具にこだわってます」系のビジネスホテルに宿泊することがある。いわく、〇〇社製のマットレスで快眠をお約束。いわく、〇〇ランキングで1位を獲得した××の寝具でばっちり快眠。そんなホテルに宿泊することがある。そしていざ当日、そのベッドにもぐりこんだ時、ぼくのあたまには?が浮かぶ。布団にもぐりこんで初めての寝返りを打つころに思う。「・・・あれ???寝具が売りだったんじゃなかったけ?」。そして疑問は徐々に確信に変わる。出張で疲労を感じていたはずなのに、ベッドに入って眠りにつけず、寝返りを数回打ったころに思う。「ニトリの数千円の布団のほうがいいな」と。

子供の頃から高級羽毛布団に慣れ親しむ家庭環境にあるならいざ知らず、せんべい布団で眠ることに慣れている人間が高級寝具を使ってもそのありがたみがわからない。価格が高いものよりも、安いけれど馴染んだ布団を求めてしまう。布団には、長く付き合っているとそれだけで価値が出てくるという面があるような気がする。

しかしながら、我が家の数千円のニトリの布団もそろそろ限界が来た。5年間付き合っていたが、限界が来た。きっかけは、敷布団にホイコーローの汁をぶちまけてしまったことだ。まったくのミステイク。迂闊であった。弁当の汁を敷布団にぶちまけてしうとは、まったくの迂闊。我が家は職住近接ならぬ、食寝近接の配置になっているため、ごはんを食べるテーブルと布団が背中合わせになっている。食事の始末には普段から注意を払っていたのだが、注意が足りなかったのだろう。気が付いたら、敷布団が味噌色に染まってしまった。僕は敷布団の限界を悟った。敷布団は限界、もう敷布団カバーを交換するしかない。あわせて、長年の懸案であった掛布団の毛玉問題も解決することとした。掛布団カバーも交換する。余勢をかって枕カバーも交換。年始は寝具の改革から始まった。

そして、今日。カバーを交換して初めての夜。なんだか少しドキドキする。初めての夜。布団はいつもと変わらず僕を受け入れてくれるだろうか。あるいは、昨日までとはまったく別の姿を見せるのだろうか。若干の不安と、それを上回るときめき。

寝よう。







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# by maseda1001 | 2017-01-04 00:33 | Comments(0)

今年の個人的な重大ニュース

第5位 数年前に足しげく通っていたラーメン屋にひさしぶりの再訪。しかし、懐かしの味はそこに無く、味の変化に戸惑う。
第4位 うわぁ、頭部に受け止める歯科衛生士さんの腹部のぬくもりがあったかいナリぃ。
第3位 入店可能な飲食店を求め、真冬の夜の繁華街をおっさん2人で1時間余り死の行進。なんとかたどり着いた店(異様に空席が目立つ)で見事、地雷級の味を堪能。良い子のみんな、飲食店に行く際は事前に予約をしよう!
第2位 12月23日~25日の三連休、ランボー怒りの休日三連勤。無事、年越しを迎える。
第1位 暇を持て余した結果、毎日晩酌(またの名を「アルコール依存症への着実なステップアップ」)するようになる。

30代、独身男性のリアル。

それにしても最近思うんですが、独身時代はしつこいほどに飲みやらなにやらに誘ってくれた方々は、結婚を機会に変わるものですね。パッタリ、飲みに誘われる機会も減ります。そりゃまぁそうだなって気もする。居酒屋で代り映えのしないヨモヤマばなしを繰り返すよりは、子供の寝顔をみたりとか、奥さんとミッドナイトのベッドでホットモットしたりとか、そっちのほうが楽しいってのはわかる。

10代の頃はと言えば、パワプロやったり、ウイイレやったり。20代の頃は、合コン行ったり、飲み会行ったり。30代になれば、結婚して、子供を育てたりなんかして。それが世の趨勢、マジョリティなんだってのはわかる。

一方で、マイノリティに目を向けるとどうだろう。30超えても結婚しない、マイノリティ。大みそかに紅白見ながら、ひとりでどん兵衛のそば(鴨だし)をすする男性。「なこみく」がバックダンサーのバックダンサーをやらされるという事態に直面して、どん兵衛を食べる手が一瞬止まってしまう、30代独身男性。休日は仕事をするか、パワプロのマイライフ。パワプロの世界ではトリプルスリーと20勝・250奪三振を達成し、私生活ではスポーツコーナー担当の女子アナと交際。しかし、リアルの世界では顧客からのクレーム電話に震える日々を送るスーツよれよれのサラリーマン。家に帰れば、台所の流し台に放置されたカップラーメンの残り汁の匂いが無言で出迎えてくれるし、湿気を含んだ薄い敷布団はもう何日も押し黙っている。

ゾウは自らの死期を悟ると、単独でひっそりと誰もいないところに行き、孤独の状態で死を迎えるらしい。生きるか死ぬかの生存競争が日夜繰り返されるサバンナの喧噪を逃れて、湖畔の森でひとりさびしく死を待つ気持ちはいったいどんなだろう。

結婚してしまったかつての友人たちに連絡を取るのも億劫だし、何かの拍子で都合が合ってしまっても、いまさら会話がかみ合うとも思えない。他人の子供の写真を見せられて愛想笑いをするのは面倒だし、「奥さんが早く帰れとうるさくってさ」という話も自慢にしか聞こえない。ヒネた感情を腹に抱えながらメシ食っても、酒を飲んでも、胃の中に入ってくるのはマジョリティが醸す圧迫感、リア充が放つキラキラ感とその裏に潜むマイノリティへの蔑み。そういう感情は、取るに足らない、豚だって食わないたぐいの感情だってのはわかってるんだけど。わかってるんだけどなぁ。

そんなこんなで僕には死期を悟ったゾウの気持ちが、少しわかるような気がする。ほんの少しだけど、わかる気がする。結婚してしまったかっての友人たちから、遠ざかっていくことを悲しいと思いつつも、どこか別のところで安堵している。既婚者の群れから、ひっそりと離れていくことに安心する気持ち。かつては仲間だと思っていたけれど、今では違う集団に属することになってしまった彼らへの別れについて、どこかで悲しみ、どこかで安心している。

少し長くなりました。最近のウェブの流行は、ツイッターのような短文形式らしいので上記を簡潔にまとめることにしたい。長い文章は読んでもらえないらしい。ということで、某模試の現代文で全国1位を取った経験がある、現代文のディフェンスに定評がある僕が上記の自分の文章を簡潔にまとめたいと思う。

上記を一行で要約すると、新垣結衣さんはかわいい、ということになります。


よいお年を。

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# by maseda1001 | 2016-12-31 21:48 | Comments(0)

オリンピックを楽しむ

どこぞの誰かが金メダルを取ったことより、今日の寝起きでひねり出した一本グソの形状の美しさに感動する。他人の金メダルより、自分のお通じのほうが大事だよ。そりゃそうだ。だって、テレビの向こうは僕には関係ないし。そんなお茶の間のヴァーチャルリアリティより、昨日食べたカップラーメンと柿の種と紙パックの青汁が体内のさまざまな器官の中で諸々調整された結果、早朝のトイレで創出される神秘の一本グソにこそ、僕はリアルを感じる。イチローがヒットを打とうが、とんねるずがモジモジくんをやろうが、霊長類最強女子が涙しようが、どれも他人の話であって。それに引き換え、僕の一本グソはまぎれもなくリアル。あきれるほどのリアル。あの太さを保ちつつ、あの長さに到達するなんて、こいつはすげえ。

オリンピック。テレビが盛り上がれば盛り上がるほど、僕のノリの悪さが際立つ気がしてなんだか申し訳ない。どの選手も自分にはできないことをやって、日々の鍛錬の成果を出している。すごいことだ。世界のなかでナンバーワンになるだなんて、よっぽどなことだ。少なくとも、インドカレーの5辛を食べてヒーヒー汗かいてる僕とは土俵が違う。戦っているレベルが違う。そしてそのプレーや演技の巧みさに、見とれることもある。

「すげーなー、俺にはできねえなあ」みたいな感じに。

スポーツ選手が日ごろの鍛錬の成果を見せてくれる。普通の人間が普通の生活をしているだけでは到達できないある一定の高みに到達した者の動きを見せてくれる。それはときに僕を感心させる。

でも、オリンピックを見ていると、そこそこの頻度で「?」と思うときがある。瞬きするくらいの頻度とは言わないまでも、僕が営業車に乗ったらサービスエリアで昼寝する頻度くらい、オリンピックを見ていると「?」と思うことがある。

テレビの実況や解説、競技後の選手のインタビューでけっこうな頻度で聞かれるあの言葉。

「日本のために」「日本を背負って」「日本人の力を見せる」

これらのセリフがいとも自然に、頻繁に聞かれるたびに、「?」と思う。振り返ってみれば、クリステルさんが「O・MO・TE・NA・SHI」とか言ってオリンピックを招致したはいいものの。日本人はみんながみんな「おもてなし」ができるのかと問われれば、堂々とYESと答えるのはクリさんと星野リゾートの自意識過剰な一部の社員くらいなものであって。

国、会社、町内会、部活、営業一課、PTA、家族。世の中にはいろいろな集団があるけれど。日本だなんて、一番縁遠い、遠いカテゴリーの話のような気がしてピンとこない。同じ日本でもクリステルさんみたいな人もいれば、ソフマップみたいな人もいる。同じ日本でもパイパンの人もいればモジャ公みたいな人もいる。そんなぐちゃぐちゃなものをひとまとめにしたバラエティパックが日本だと思われる。お菓子でいえば300円のバラエティパックのなかに、うまい棒めんたい味、おっとっと醬油味、ビスコ、キャベツ太郎などなど、とりあえず目についたものを入れておきましたというバラエティパック。納沙布岬から与那国島まで、寒帯から亜熱帯まで、巨乳から貧乳まで。ほぼ99.9%が他人の寄せ集め。

それをさも知り合いだよみたいな顔して。水谷がやったよ、吉田が負けたよって。僕の知り合いに水谷さんはいないし、吉田さんは経理のスペシャリストであって、オリンピックは出てないけど、課長に昇進したのはかなり早い時期だった。誰かがメダルを取って喜ぶとしたら、ガキの頃、一緒に立ち小便した森くんが金メダルを取ったなら喜ぶ。でも、テレビでしか見たことのないやたら発育のいいお兄さんがお姉さんがメダルを取っても、ほかの外国人選手がメダルを取るのと僕にとって価値に違いがあるだろうか。「○○が金メダル取りました」ってニュース速報流されてもあまりの重要性の無さに唖然とするだけで、そんなことでニュース速報になるならば、近所のそば屋が潰れたことのほうが僕にとっては意味があるような気がする。あるいは、「○○区在住、エキサイトブロガーのmasedaさん、突然のこむら返りに襲われている模様」のニュースのほうがよほど僕にとっては重要だ。

だからだろうか、オリンピック関連のニュースや映像を見るたびに、なんだかいたたまれなくなって。荻野可鈴ちゃんが出演しなくなったテレビ東京のバラエティ番組みたいに、急速に関心がしぼんでいくのを感じる。

「好きなことは多いほうがいいのに」って、中村一義は歌う。たしかに、そうだ。好きなことは多いほうがいい。嫌いなものは少ないほうがいい。ソフマップのアイドルを愛せたら、僕は今頃、博愛主義で名をはせているだろうし。クリーニング屋のおばちゃんの食事の誘いにのっていたら、僕のセカンドDTだって霧のように消えていただろう。

でも、なんだかなあ。

オリンピック。

僕が一番盛り上がることができるのは、いったいなんだろう。こんなふうにして一人、疎外感を味わうのが、僕のオリンピックの楽しみ方です。キミはどうだい?


今日の一曲
スーパーカー / smart

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# by maseda1001 | 2016-08-20 01:15 | Comments(0)

見知らぬおっさん

金曜日の昼下がり、中央線沿線の商店街をてくてくと歩いていたら、見知らぬおっさんに叫ばれた。

「肉くらい食えや、みっともねぇ」って。

一瞬びくっと身震いするほどの大音量で叫ばれた。商店街の喫茶店の前で突っ立ってた見知らぬおっさんに。旧知の仲ならいざ知らず。初見の初老のおっさんに叫ばれる。僕のノミの心臓は驚きを隠しきれない。

思えば僕は内臓脂肪は豊富に蓄えているものの、持ち前のシャープネスを生かした骨格によりやせ形と認識される体形をしている。そして季節は夏。Yシャツの着こなしも2016年サマーバージョンよろしく、袖をまくってその細腕を世界に開帳していた。初見のおっさんは目ざとく僕の細腕を見て取り、そして叫んだのだろう。

「肉くらい食えや、みっともねぇ」って。

公衆の面前で見知らぬおっさんに痛罵される僕。夢みるアドレセンス、通称夢アドの荻野可鈴ちゃんに痛罵されるのであれば、それは痛みではなく快楽へと昇華することも可能であったかもしれない。荻野可鈴ちゃんに「肉くらい食えや、みっともねぇ」って叫ばれたら、僕はその足でいきなりステーキに行ってコレステロールにまみれたポンドステーキを泣きながら胃に流し込むこともやぶさかではなかった。しかし、現実には荻野可鈴ちゃんではなく、見知らぬおっさん。僕の容姿を痛烈に罵倒したのは見知らぬ白髪のおっさんであった。

目には目を歯には歯をの理論を適用して、そのおっさんに反撃することは可能であったかもしれない。

「いや、おっさんも、痩せてますけど!」って。

でも僕が選んだ選択肢は反撃ではなかった。おっさんをシカトして逃げることしかできなかった。言われただけ損。言われ損である。わたし男だけど、ちょっと痴漢された女の子の気持ちがわかったような気がしたわ。まぢで。

見知らぬおっさんにハートブレイクされたその1時間後、また別の初対面の取引先のおっさんに「キミ、もっと勉強したほうがいいよ」とたしなめられる。こんなふうにして、僕もおっさんになっていく。30年後、中央線の街角で僕も叫んでいるかもしれない。痩せた若者に対して。

「肉くらい食えや、みっともねぇ」って。

さすがはおもてなしの国。街角の隅々まで、おもてなしが浸透しているね、って未来の若者は微笑んでくれるでしょうか。

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# by maseda1001 | 2016-08-13 21:30 | Comments(0)