背伸びせず、卑屈にもならず。そんな風に書きたひと思ふをとこありけり。
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unko

うんこをなめてはいけない。

みんなわかっているようで、わかっていない。誰に教わるともなく自然とうんこはするくせに、うんこのことをなめてるやつが多すぎる。だからあえて2回同じことを言おう。

うんこはなめてはいけない。

この言葉には2つの意味があることを賢明な諸氏ならばおわかりいただけると思う。すなわち、「うんこをなめる」という「うんこ(名詞)+を(接続助詞)+なめる(動詞)」という言葉には、①うんこを舌でtouchすること、②うんこを軽んじること。この2つの意味を包含している。私がここで述べたいのは、後者。すなわち、②うんこを軽んじることについてだ。

巷にはうんこをなめてるやつが多すぎる。会話の最中に「うんこ」という単語が出ただけで、苦り切った渋面をつくるすましたOL。うんこを切り口にして軽妙なトークをするお笑い芸人は、うんこをダシにしてユーモアある自分を演出する。かりんとう屋さんもカレー屋さんも、うんこをオマージュにした食べ物で生計を立てているくせに、うんこに対する感謝をするどころか、うんこを禁忌とした挙句、店の前で「うんこ」の「う」の字を口に出しただけで、警戒しだす始末。

うんこをなめてる奴が多すぎる。うんこってのは、もっと感謝されなければならない。そして崇められなければならない。

うんこはそもそもヒトが摂取した食物の残りカスだ。口から、食道、胃、小腸、大腸、そして肛門。その旅路は決して、平たんではない。そして短くない時間だ。胃液で溶かされ、小腸・大腸で栄養素を根こそぎ吸い取られ、そして肛門から排出される。口にしたときは、オマールエビでも、ケツから出るときは全部うんこ。キャビアを食べても、トリュフを食べても、おせんべを食べても、カロリーメイトを食べても同じ。結局はうんこ。最後はうんこなんだ。

それはある種の神秘性をも私たちに感じさせてくれる。

食べ物が、我々の体内を通過することによって、うんこになって出てくる。考えてみれば不思議だ。我々の体内で何が起こっているのか、さっき食べたコンビニ弁当が胃の中でどんな状態になっているのか、直接目で見ることはできない。しかし、私は経験的、直感的にわかる。確かにコンビニ弁当の焼き鮭も、ひじきも、梅干しが体内にあることを。そして、数時間後にはそれがうんことして完成されて、再び世に出てくることを。誰に指示されたわけでもない。誰かに教えられたわけでもない。それでも、我々はうんこをするのだ。これは神の意志、God's WILLと言わずして、なんと呼べるだろうか。

それなのに。それなのに、である。

うんこをなめてる奴が多すぎる。先生、だいぶ興奮してきたら何度でもいうけど、多すぎるのよ。うんこをなめてるやつが。軽すぎ。うんこに対する扱いが軽すぎ。ミスチルは崇めるくせに、うんこはレバー大をひねって流しておしまい。ミスチルが不倫した挙句にグラドルと再婚というラブソングが尻尾巻いて逃げ出すような過去があったことを知ったうえで、それでも『ロード・アイミスユー』とか聴けるくせに、うんこのことなんてアウトオブ眼中。そんな奴が多すぎる。

だから言いたい。私は声を大にして言いたい。

うんこのことはもっと真剣に考えなければいけない、と。うんこに対して真摯に向き合い、うんこと語らわなければならない、と。夜更けのバーで親友と語らう話題として選ぶべきは、うんこ。日曜のさわやかな朝のミサでの神父の説教のテーマも、うんこ。夜景の見えるレストランで指輪をプレゼントして、うれし涙を見せてくれる彼女に対して語り掛ける言葉も、うんこ。

今日、僕はうんこのことをずっと考えていた。朝、いつものとおり、寝起きにトイレにブースインした。定例行事。いつものことだ。ものの5分もすれば、うんこが解き放たれるはず。だった。だったのだが、出なかった。うんこがさっぱりでなかったのだ。前日上司に鬼のように説教されようとも、前日に適齢期の女子の既読スルーを食らおうとも、なにがあろうとも毎朝快便、朝のお通じと美肌だけには自信があったこの僕が。うんこが出なかったのだ。

これは一大事である。イギリスがEU離脱しても、トランプが大統領になろうとも、何が起こっても朝のお通じは保ってきたのだ。言うなれば、ルーティン。そのルーティンが、今日止まってしまった。

以降、僕はうんこのことを考えて一日を過ごすこととなった。お昼に野菜タンメンを食べてるときも、誤って保存しないままにエクセルを閉じてしまったときも、寒さに震えながら家路を急ぐときも。うんこのことを考えて過ごしてきた。

そしてさっき、ついにうんこが出た。

マンモスうれぴー。



今日の一曲
スピッツ / 日なたの窓にあこがれて

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by maseda1001 | 2017-01-24 23:10 | Comments(0)

デイドリーマー

仕事が終わらなかったため、昨年から予定されていた飲み会に参加できず。

僕は飲み会のために生きているわけではない。されど、仕事のために生きているわけでもない。月に1回くらいは飲み会に参加させてくれたってよさそうなものだけれど、それすらも許してくれないハードワークさ加減。ビートルズもハードデイズナイトを歌っていた頃はこんな気持ちだったのかもしれない。ただ、彼らに救いがあるとすれば、彼らは表現するすべを知っていた。自分たちの置かれている苦境をキャッチーなメロディーに乗せて歌にすることができた。ユーモアのなかに憂いを含ませて自分たちの置かれている状況を歌うことができた。それがどれほどの救いになるかは赤の他人の僕が知る由もないけれど、少なくともおカネにはなったんだし、羨む人も多いだろう。

一方、僕のストレス発散方法といえば「中間管理録トネガワ」を読んで、中間管理職の苦労に思いを馳せることくらいなもの。

今日は疲れた。昼間の出来事が夢のなかでの話だったかのように、いまでは現実感がなくなってきています。疲れた。

今日の一曲
エレファントカシマシ/悲しみの果て

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by maseda1001 | 2017-01-18 01:31 | Comments(0)

ランニング・マン

正月番組でテレビ東京のバス旅で、福島県のとある温泉に太川さんとえびすさんが入浴するシーンで、えびすさんが「温泉って入る前はめんどうくさくてイヤだなと思うけど、入ると気持ちいいね。」というたぐいのことを言っていた。自分に当てはめて考えてみても、たしかに温泉は入る前はめんどうくさいと思うことがある。就寝前でもないのにいちいち服を脱ぐのは面倒だし、他人の視線があるなかで全裸になって乳輪の毛がボーボーになってるのを気にするも面倒だし、自宅に帰れば風呂があるにもかかわらず風呂代でカネを払うのもなんだか損してる気がしないでもない。入浴前はそんなことを考える。でもその面倒を超えた先、実際に風呂にカラダが浸かってしまえば、そういう憂いは露のように霧散して、思うのだ。「ああ、気持ちいいなぁ」と。

似たようなものはいくつかあって、たとえば食事も入浴と似ている。真冬の雨の日なんかは外食しようと出かけるのはとても気力が必要で、だいぶ面倒なことだけど、いざ飲食店に入ってしまえば、次の瞬間には空腹を思い出し、「あれ食べたい、これ食べたい」と目先の食事のことばかり考えるようになる。あと、学生のときの試験勉強なんかも入浴や食事と似たようなもので、机に座るまではゲームやらマンガやらいろんな誘惑が目につくけれど、覚悟を決めて机に座り参考書を開くと勉強に没頭することになることが多かった(ただし、好きな科目に限る)。

やり始める前は面倒なことでもやり始めるといつの間にか熱中している。

これは冬のランニング、マラソンにも当てはまる気がする。寒風吹きすさぶ真冬は、コートを着込んでいても外に出るのは億劫なものだ。ましてやランニング用の軽装で外に出るということは、相応の覚悟を要する。それこそ、真冬の朝にキンキンに冷えた便座に着座するときと同じくらい、あるいはそれ以上の覚悟を要する。だけれども、いったん走り始めると世界は一変する。ランニングしているうちにカラダがほどよくあたたまり、あれだけ冷たかった風も心地よくなる。心臓が奏でるハートビートも心地よいリズムでアップテンポを刻む。自分の身体が活動しているを感じることができる。これほどの快感を味わうことができる行為、飲食や入浴に匹敵するのではないだろうか。

最近、ランニングをサボっていた。サボっていたというより、ランニングする目的や意義も忘れて怠惰につかりきっていた。ランニングの効用は十分知っているはずなのに、一歩を踏み出す気力を失っていた。結果、腹回りはダルダル。下半身は弛緩して、ユルユル。最近、妙にこむら返りが多いのもランニングをサボっているからだろう。カラダは僕のメンタルの怠惰を反映して、しっかりと怠惰なボディへと変化していた。

そんなある日の夜、僕の目の前に青から赤へと点滅する信号があった。この信号を一度待つと、ひどく待たされる信号。そいつがチカチカ点滅。真冬に長時間、ただ信号が変わるのを待つだなんて、そいつはきつい。お気に入りのアイドルの熱愛発覚なみにきつい。ならば、と走った。ぼくは走った。ひさしぶりに走った。

思いのほか、カラダは鋭敏に反応してくれた。軽やかに横断歩道をステップを踏み、走る。風は冷たいが、心臓が泡立ち、鼓動が速まるのを感じる。「ああ、そうか。走るって気持ちよかったんだっけな」。そんなことを感じながら横断歩道を渡り終えた。なるほど、僕は忘れていた。ランニングはつらいことばかりではない。たのしみもあったんだ。そんな快感にひたって気づいた。ヒザが痛い。怠惰なボディは、信号を渡るときのダッシュというごく短時間の運動ですら悲鳴を上げていた。

たまの運動はするもんじゃないね。


今日の一曲
なし


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by maseda1001 | 2017-01-11 21:34 | Comments(0)

とある駆け込み乗車で

電車をおりて改札へと向かう階段を登っていた。マンガ喫茶で5時間ほど自堕落をむさぼった帰りのことだ。自宅の最寄り駅の電車から降りて、プラットホームから改札階へ接続する階段をとぼとぼ上っていた。

そしたら、駆け込み乗車のために2段飛ばしくらいのペースで猛然と階段を駆け下りる若い男3人組。腹をすかせた飼いネコがキャットフードに一目散に駈けるかのように、某駅のプラットホームへの階段を、ドアがいまにも閉まりそうな電車に向かって猛然と駆け下りる若者たち。若さがあふれるエネルギーを生み、そのエネルギーは若者たちを駆け込み乗車するための燃料となった。3人が横一列にならんで階段を一目散に駆け下りる様子は、ジャッキーやブルース・リーが出演するような香港映画くらいでしか目撃できないと思ったが、現代日本でも目撃できるとは。

そして目撃できるだけではなく、駆け込み乗車のために猛然と階段をダッシュでくだる3人を避けきれず、うち1人と接触する。目撃だけでなく襲撃までされてしまうというオマケつき。これには日ごろからメンタル同様、ボディも甘やかしている僕はどうしようもなかった。若者の風をきるようなスピードをよけきれずに接触。なんとか階段の中腹で手すりを利用してその場に踏みとどまる。若者たちはそれに気づいたのか気づいていないのか、あっという間にいなくなってしまった。まるで嵐。嵐が5人組であるという前提を棚に上げて言うならば、嵐のような3人組だった。

階段の中腹程度での接触だったため、僕が90才の老人だったら接触によって階段から転落、死亡という可能性もあった。仮に僕が90才の国民栄誉賞受賞者であったら、僕と接触した若者は、国民栄誉賞受賞者を意図的にではないにしろ殺してしまったというカドで、マスコミや世間から袋叩きにあっていたことだろう。それを考えると、あのとき階段の中腹にいたのが、健康な壮年男性、アナルの裂傷を除けば五体満足の僕でよかったということになる。

そう考えると、僕は今日、ある意味人助けをしたともいえる。未来ある若者を犯罪者におとしめることを食い止めた。そうは言えないだろうか。僕は駆け込み乗車による接触で転倒しなかったことにより、駆け込み乗車をした若者を救った。そうは言えないだろうか。

言えるわけないよね。

駆け込み乗車は危険ですのでおやめください。


今日の一曲
ゆいちゃんず / 渋谷川

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by maseda1001 | 2017-01-09 22:32 | Comments(0)

寒い夜は

寒い夜は部屋から出られない。といっても部屋から出る用事もないわけで。部屋から出る必要がないうえに、天気は雨。真冬の夜空は僕のココロを見透かしたようにウェッティ。僕の視界がかすんで見えるのは、日曜の夜に女の子とデートする用事も無く、録りためた正月番組(『3月のライオン』と『バス旅』)を見ることと、たまにネット将棋に興じることで1日を終えてしまった自分に対する自己憐憫で涙しているからか。

そんな僕が夜の雨に打たれでもしたら、それはそれでまるで映画のワンシーンのように感動的なはず。冬の冷たい雨が、アナルの裂傷に起因する歩行障害に苦しむ僕の頬を濡らす光景。映像化したらそれだけで小津映画のワンシーンになりそうなほど感傷的かつ情緒的な光景だろう。あるいは、アナルの裂傷に起因する歩行障害を抱えた独身男性が半裸で冬の夜空で傘もささずに街を徘徊してたら、それこそ「密着警察24時」のような警察ドキュメント番組の撮れ高に貢献できそう。ただし、いまの僕にはそんな勇気も体力も気力もない。

冷蔵庫の設定温度より低い外に出る元気もなく、今日の夜は宅配ピザを注文。Lサイズに挑戦。単身でLサイズピザを頼むという酔狂チャレンジ。そして大方の予想通りに4切れほど残す。キャンペーン期間中で安かったからという短絡的な理由でLサイズを注文した数時間前の自分にありったけの罵声を浴びせたい気分。1人でLサイズのピザを食えるほどの胃の容量がないことは知っていたはずなのに。それなのに注文してしまった自分を罵りたい。それこそ、一時期のベッキーや、一時期のキムタクのように、世間の批判を一身に浴びるかのような痛罵を浴びたい。ピザの残骸を見ながらそう思った。

明日は休み。明日も予定は無い。What a happy I am!

今日の一曲
ゆいちゃんず / 渋谷川

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by maseda1001 | 2017-01-09 00:46 | Comments(0)

見たくなかった自分

知りたくないこと、見たくないもの、ほしくないもの。そんなものが世の中にはけっこうあるような気がする。

たとえば、会社の上司の自分に対するマイナス査定とか。たとえば、はるか太古の昔にお付き合いした女性が産んだお子さんの写真とか。たとえば、精魂込めて応援しているアイドルが裏アカウントでオタク批判&Youtuberとのチュー写真のダブルコンボを決めているツイッターとか(だれとは言わぬ)。

どれもこれも耳を塞いでシャットダウンしたくなるものばかり。叶うことならば、そういうココロの敏感な部分をえぐるような情報からは遠ざかっていたいものだ。しかしいま挙げたどの例よりも、もっとイヤなもの、心底悲しくなるものといったらあれですね。自分のダメな部分を見つめること。これはツラい。新井さんじゃなくてもツラくなってくる。

ここ最近、自分に関するマイナスポイントをいくつか新たに発見してしまった。新しい自分を見つけるってのは必ずしもいいものばかりではない。ポップスターのヒットソングの歌詞で「新しい自分をみつけよう さあトビラをあけて 一歩踏み出してみよう」なんて歌詞を聴いたことある。なんかポジティブなテイストのメロディーで。ポップでキャッチーな曲調。でも、さあトビラあけて一歩踏み出して見つけた自分がとんでもない醜悪で、思わず目を背けたくなるような代物だったらどうしてくれるんだろう。

いままで知らなかった自分の醜悪な部分がみえたとき、自分はこんな人間だったのかとショックを受ける。いままでの自己評価が高すぎたのか、あるいはなにかの変化が生じてかつての自分からの乖離が生じたのか。いずれにしても、残念です。かつては、もう少しバランスを保っていたような気がするけど、そんなこともなかったんだろうか。

自分さえよければという社会不適合者特有のメンタル構造が諸問題の1つの発端だと思われる。あと、歯止めがきかない肥大化する欲望。こいつもよくない。

前日の夜、焼きとん屋でビール・サワーを7、8杯飲んで、その後、背脂とんこつラーメンを食べた。ラーメンにはニンニク1片をすりつぶして食べた。そして、気づく。アルコールと豚肉。プラスで申し訳程度の野菜を食べたのち、さらにラーメンを胃に流し込んで大満足の脳みそがふと気づく。翌日の朝、歯医者の予約をしていたことを。胃の中はニオイで充満。自分でも口臭がくさいってわかる状態。そんな状態で、美人の歯科医にむけて口を開けることになってしまうとは。

そして、今日、僕はそのプレイを楽しんだ。ニンニクの残り香と、背脂とんこつと、アルコールと。僕の口臭を充填した口臭爆弾が開発されれば、国がひとつくらい滅ぶんじゃないかというレベルの口臭をひっさげて、美人歯科医に口内をいじっていただく。当然と言えば当然だが、かなりの羞恥心が僕を襲う。すました顔で診療をする女医がココロのなかでなにを考えているかを想像するだけで羞恥の海にダイブした気分。いっそ、その羞恥心を悦びに変えることができれば、立派なサディスティックなんだろうけれどおあいにく。僕はマゾなんで。ロウソクを垂らすよりは垂らされたいんで。

美人女医へ謝罪する機会があったら、ジャンピング土下座する準備はできている。

今日の一曲
ゆいちゃんず / 渋谷川


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by maseda1001 | 2017-01-08 14:35 | Comments(0)

新年に寄せて

せっかく生きているならより多くの経験をしたい。回転ずしに行っていろんな種類のネタを食べてみたい。行ったことない場所に行ってみたことのない景色を見てみたい。いろんな美人の女性とお話してみたい。

そんなことを願いつつも、今日も今日とて去年と同じデスクに座り、去年と同じアプリケーションソフトを操作し、去年と同じレストランでランチを食べる。去年と比較して変わったことといえばカレンダーと、僕の麗しのフェイスに吹き出物が増えたことくらい。新しい年を迎えてなお、変化を拒むかのように、昨年となんら変わり映えのないウィークデイだった1月5日。1990年代のミスターチルドレンならば、こういう変化のない現代にドロップキックの一発や二発くらいかましてくれそうなもの。しかし、いまは西暦2017年。トガったジャックナイフのような切れ味を見せてくれたかつての僕のヒーローは、ラブ&ピース専門のポップスターに落ち着いたのであまり期待できそうにない。

そんなこんなで2017年。アゴ髭は濃くなる一方、独り言は加速度的に増加中、既読スルー率も上昇傾向でますます盛ん。本年も引き続き、深夜1時に乳首の毛や鼻毛を泣きながら抜くことになるんだろうか。乳首の毛を抜く際の激痛にひとり泣き濡れた夜、そんな夜もあったわねと笑える日は来るのだろうか。明るい日と書いて明日、真夜中のミッドナイト、毎日がエブリデイロープライス。

さあ、今年がはじまった。

今日の一曲
ミスチル / Image

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by maseda1001 | 2017-01-06 00:58 | Comments(0)

ぶちまけ日和

仕事始めを控えた前日の夜、台所の清掃をしていた。台所の清掃、と一口で言ったものの、単身世帯、それも独身生活をこじらせた男性の台所である。その風景は推して知るべし。流しのシンク内にはラーメンの残り汁が沈殿するラーメンどんぶりと袋ラーメンを作った際に使用した雪平鍋。あと、冷凍パスタを食べたときに使用した丸皿。そんなんこんなが数日前の食後から放置されている。そして、流し台の調理スペースには、残り汁を満載したカップラーメン容器が山積。その数、少なく見積もっても7、8個。仕事納めから仕事始めに至るまで、酒を飲んではカップラーメンを食べ、酒を飲んでは袋ラーメンを食べ、そしてまた酒を飲んではカップラーメンを食べ。たまに冷凍パスタも食べつつ、また酒を飲んでは袋ラーメンを食べ。まるでなにかの修行のように毎日同じような生活を繰り返し再生していた結果である。台所はラーメンの残り汁が澱のように漂っていた。

とはいえ翌日は仕事始め。欲望のままにシングルライフに耽溺した怠惰な生活に終止符を打ち、社会的動物の1人として資本主義社会の前線にカムバックすることになっている。べつに僕1人いなくとも、この資本主義社会は平穏無事にめぐっていくことは目に見えているが、そこはあえて目をつぶろう。現代資本主義社会の善良な構成員の1人として、翌日から僕は再び仕事に出かける。

休みの日であれば、台所にたまったごみの山は大して気にならないものだけれど、仕事始めの朝くらいは気分よく玄関を出ていきたいという気持ちがある。どうせ始まってしまえば気分がよくなることなど期待できないのだ。1年の初めくらい、1年の初めの朝くらいは気分よく仕事に出かけたいものだ。

というわけで仕事始めを控えた前日の夜。僕は台所の清掃をしていたわけで。残り汁を満載したカップラーメン。カップヌードルしょうゆ味。チキンラーメンどんぶり。ニュータッチのネギらーめん。どん兵衛の鴨ネギそば。そんなこんなが、食べカスと残ったスープをたぷたぷと満載したまま真冬の流し台のうえに所狭しと無造作に置かれた光景は、我ながらグッとくるものがある。「悲しい風景写真コンクール」にこの風景を撮影して送ったら入選してしまうかもしれない。暮れから正月にかけての連日の1人宴会の残滓は、宴会の主役だったはずの僕が見ても悲しい。ほのかに刺激臭を放つネギラーメンのスープが主張するように、一刻も早くこの風景は早く洗い流さなければならなかった。

そして僕は掃除に取りかかる。45リットルのゴミ袋を用意し、三角コーナーにネットをセットし、ラーメンのスープを流しにぶちまける。とにかくぶちまける。そこに思考は必要ない。右手でカップラーメン容器をつかみ、その右手を三角コーナー付近まで移動させ、所定の位置まで来たら右手を傾けて汁を流す。カラになった容器はゴミ袋へ投入。この作業を繰り返す。この作業を10回程度繰り返し、終えた頃には、正月の宴の記憶もきれいに流されてしまっていることだろう。流さなければならない記憶は、排水溝の暗闇へ流し去り、二度と思い出さなければいい。

1つ目のカップラーメンの容器、ネギらーめんの容器を手に取る。ネギらーめんを食べたのは何日前だろうか。スープの脂分が黄色く変色している状態から判断するに、去年食べたものだろう。そんなことを思いながら、容器をつかんだその刹那、僕の手元に狂いが生じた。つかんだはずの容器のふちはおもいのほかなめらかで、スムーズだった。カップラーメンの容器はするりと僕の手元から逃げるように落下した。きれいに180度ひっくりかえって回転し、フローリングの床に落下。結果、スープや麺のカス、赤唐辛子の輪切りがフローリングにぶちまけられた。

なんということでしょう。

僕は掃除をするつもりが、余計に部屋を汚くしてしまった。なんたる失態。なんたる不始末。パイパンにしようと意気込んで安全カミソリを用意したものの、剃毛に失敗し恥部を血まみれにしてしまうようなもので。正月早々、カップラーメンの汁を床にぶちまけてしまうとは。先日、セブンイレブンのホイコーロー弁当の汁を敷布団にぶちまけたときもショックだったけれど、今回の件もショック。

そうそう、ショックと言えば、実家に帰省して「お前にも嫁がいればなあ」と言われた。いままで嫁のヨの字も話題に出してこなかった父親に言われた。これもショックだった。あなたの息子に嫁がいないのはあなたの教育・しつけのたまものでしょうねって言うべきだっただろうか。

床にぶちまけたラーメンの汁を清掃して、仕事始めに備えよう。

今日の一曲
ゆいちゃんず / 渋谷川

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by maseda1001 | 2017-01-04 23:38 | Comments(0)

ふとん

僕の部屋にはベッドがない。シングル向けの賃貸マンション、床はフローリング。ならばベッドが置いてあってよさそうなものだけれども。ベッドはない。学生時代の1人暮らしのときに西友で買った安いパイプベッドは会社の独身寮に入るときに処分してしまった。そして備え付けのベッドがあった独身寮から逃げるように出てきて以来、フローリングに敷くせんべい布団で寝起きをしている。

今現在使用している寝具は5年くらい前にニトリで買ったやつで、掛布団・敷布団・まくらがセットになって数千円程度のやつ。リーズナブルな価格にそれなりの機能性。寝心地は価格から推して知るべし、と言いたいところだが、高級寝具で寝泊まりした記憶があまりない僕にとって、この数千円のニトリの寝具は十分なものだ。この布団で寝起きをし始めてからもう5年も経過しているのだ。馴染んだ。慣れ親しんだ。べつにほかの布団に乗り換えたいという気持ちも起こらない。

布団ってものは不思議なものだと思うことがある。出張でビジネスホテルに泊まるとき、「寝具にこだわってます」系のビジネスホテルに宿泊することがある。いわく、〇〇社製のマットレスで快眠をお約束。いわく、〇〇ランキングで1位を獲得した××の寝具でばっちり快眠。そんなホテルに宿泊することがある。そしていざ当日、そのベッドにもぐりこんだ時、ぼくのあたまには?が浮かぶ。布団にもぐりこんで初めての寝返りを打つころに思う。「・・・あれ???寝具が売りだったんじゃなかったけ?」。そして疑問は徐々に確信に変わる。出張で疲労を感じていたはずなのに、ベッドに入って眠りにつけず、寝返りを数回打ったころに思う。「ニトリの数千円の布団のほうがいいな」と。

子供の頃から高級羽毛布団に慣れ親しむ家庭環境にあるならいざ知らず、せんべい布団で眠ることに慣れている人間が高級寝具を使ってもそのありがたみがわからない。価格が高いものよりも、安いけれど馴染んだ布団を求めてしまう。布団には、長く付き合っているとそれだけで価値が出てくるという面があるような気がする。

しかしながら、我が家の数千円のニトリの布団もそろそろ限界が来た。5年間付き合っていたが、限界が来た。きっかけは、敷布団にホイコーローの汁をぶちまけてしまったことだ。まったくのミステイク。迂闊であった。弁当の汁を敷布団にぶちまけてしうとは、まったくの迂闊。我が家は職住近接ならぬ、食寝近接の配置になっているため、ごはんを食べるテーブルと布団が背中合わせになっている。食事の始末には普段から注意を払っていたのだが、注意が足りなかったのだろう。気が付いたら、敷布団が味噌色に染まってしまった。僕は敷布団の限界を悟った。敷布団は限界、もう敷布団カバーを交換するしかない。あわせて、長年の懸案であった掛布団の毛玉問題も解決することとした。掛布団カバーも交換する。余勢をかって枕カバーも交換。年始は寝具の改革から始まった。

そして、今日。カバーを交換して初めての夜。なんだか少しドキドキする。初めての夜。布団はいつもと変わらず僕を受け入れてくれるだろうか。あるいは、昨日までとはまったく別の姿を見せるのだろうか。若干の不安と、それを上回るときめき。

寝よう。







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by maseda1001 | 2017-01-04 00:33 | Comments(0)