背伸びせず、卑屈にもならず。そんな風に書きたひと思ふをとこありけり。
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マツダのCM、それから

マツダのCM。

クルマは単なる道具ではない。
ともに走り、ともに歓び、ともに生きていく。
Be a driver.


あのCMを僕が監督・演出するなら、こうなるだろう。

クルマは単なる道具である。
メンテ、税、ガソリンでカネがかかる。車検もカネかかるし、時間も取られる。ドライブしてても疲れるだけだし、なにより交通事故の加害者になるリスクを負ってなにが楽しいんだろう。
Take a taxi.


そんな僕にとって、マツダのあのCMはまったくもって理解不能。外国人、それも白人の美形の若い男女がクルマを運転してイチャイチャしたり、挙句の果てにはクルマに頬ずりまでしちゃって。どこの日本にデミオに乗るミランダ・カーがいるんだろう。

大多数の日本人は渓谷の峠道やら、スカイラインが映える海岸線なんて運転しない。大多数の日本人がクルマに乗る機会といえば、イオンに行くとき。あまたの信号待ちやウィンカー予告なしの割り込み、旧国道の渋滞に耐えてたどり着く週末のイオンでコメと野菜と牛肉を買うために、日本人はクルマに乗るのだ。そこに喜びはない。あるのは作業。最も便宜的、経済的であるという理由で採用される純粋に移動手段として特化された乗り物。

大阪人に広島焼を食べさせてドヤ顔されてもなんだかなあってオチしかない。左の人に産経新聞を、右の人に朝日新聞を見せても、お互いに元巨人のガルベスみたいにカッカするだけだし。パイパン嫌いのひとにパイパンになってほしいと拝み倒しても、断られるのは目に見えている。

クルマに、たんなる移動手段以上の価値を見出す人と、たんなる移動手段としてしか見ない人。宗教観や、政治観の対立のごとく、それはどちらが正しいも悪いもないわけで、お互いがお互いをそっとしておくのが賢いといえるんだろう。それでも僕はあえて言いたい。寝かせた子を起こすような真似をしてまで、あえて言いたい。場末のだれも読まないブログとわかっていてもあえて言いたい。マツダのCMについて書いてきたあとで、言いたい。

大塚商会の「たのメール」のCMは、ほんと勘弁してください。
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by maseda1001 | 2016-07-31 01:26 | Comments(0)

KOMURA-GAERI

こむら返りである。

昨日の午前10時30分。地球の片隅で、僕はこむら返りに苦しんでいた。こむら返りという奴は、なにかの前兆や予感を伴うことはほとんどなく、突然に僕を襲う。気付いたときにはもう遅い。気付いたときには、僕はこむら返りの痛みのど真ん中で、息を吸うことも忘れるほどの苦しみに悶絶することになる。

今回のこむら返りは左わきの下。脇腹よりは少し上のあたり。脇毛が生えるスイートスポットよりは若干下がったあたり。そこに激痛が走った。それは、顧客に現地を案内してもらう過程で、ワンボックスカーから降車するため、車のドアを左手で開けるという動作をした直後のことだった。

瞬間、激痛が走る。筋肉が脳に強烈なSOS信号を送る。だが僕にはどうしようもできない。こむら返りに襲われた人間は、F6FヘルキャットやF4Uコルセアに襲撃されるゼロ戦21型のように、平和な時間をあきらめるしか術はないのだ。

そして今回はタイミングが悪いことに客先の真っただ中。これがプライベート空間であれば、こむら返りに乗じて悶絶発狂おじさんコンテスト(参加者1名)を開催することもできただろう。
※悶絶発狂おじさんコンテスト:狂ったひとを巧みに演じることができた者を勝者として、その栄誉を称えるコンテスト。優勝賞品は、つかの間の興奮と、熱が醒めたあとの絶望的なまでの後悔。

しかし、あくまでもそのときは日中、しかも客先である。痛みを楽しむ余裕なんてない。僕は断続的に襲ってくるこむら返りに対して、心のなかで叫び、そして表情はあくまでもクールに、それでいてまなじりには情熱を含ませたうえで真摯に。冷や汗はじんわりと額を覆う。

これがフランクネスの本場、米国であれば、「Oh,Komura-Gaeri!!Ouch!!Ouch!!絶望的なまでのKomura-Gaeriが僕を襲う」とかなんとか言って一同爆笑。笑うポイントなんてひとつもないのに、なぜかみんな爆笑の渦にダイブ。ダイブ into the爆笑になるはず。しかし現実にはここは日本。礼節とパイパンを重んじる国、Japan。僕は顧客に自分がこむら返りに襲われていることを打ち明けることができなかった。

そして今回のこむら返りは長丁場。1分、2分?甘い。少なくとも10分。おおげさに書いて読んでる人の関心を惹こうというあざとさを加味すれば、ざっと20分。20分はこむら返りに襲われ続けた。これがマットとローションを専門に扱う特殊技巧の店舗であれば、20分間なにかに襲われることはやぶさかではないが、こむら返りの専門店での20分はちょっと今まで聞いたことがないほど長い。つらい。

僕の冷や汗であっちい地球が冷えっ冷えっになるんじゃないかというくらい、冷や汗を流す。こむら返り恐るべし。

そして、オチは特に無し。眠い。終わり。
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by maseda1001 | 2016-07-28 01:27 | Comments(0)

夜のオフィス

22時30分。

だれもいなくなったオフィスで、僕のキーボードだけがカツカツと音を立てる。キーボードが動きを止めると、冷房がゴウンゴウンと振動して部屋の空気をかき混ぜる。静かな夜だった。仕事が終わらないということは、家に帰る時間が遅くなることを意味する。家に帰る時間が遅くなるということは風呂に入る時間が遅くなること、夕ご飯の時間が遅くなること、撮りためたドラマを見る時間が遅くなることも意味する。

再びキーボードが音を立てる。カタカタと鳴るキーボードは、瞬きをせわしなく繰り返す瞳のように、間断なく静寂を闇へ追いやる。

(・・・・・・そういえば、世界のナベアツっていま何やってるんだろう)

僕はふと考える。キーボードを打つ手はいまだ止まず。スプレッドシートは右に左に移動し、置換し、関数でそれぞれの意味をつなげていく。

(1、2、さぁぁぅんん、4・・・・・・か。)

昨日食べた晩ごはんを忘れて、思い出せないみたいにして、数年前に流行したお笑い芸人の行方を僕は知らない。数年前は、あれほどテレビをにぎわせていた人も、今は違う誰かに置き換えられている。予定調和のシナリオがあったかのように、どこにでもあるありふれたシーンの移ろい。栄枯盛衰。生者必滅。

僕の人生にとって、世界のナベアツはその程度の存在だったということで。同じように、今見ているテレビで物知り顔でコメントをするあの学者も、トレンディ過剰なあの俳優も、そして僕に救いをくれるあのアイドルだって。数年先には、僕はきっと忘れているだろう。コンビニで買った冷やし中華は胃の中に納まってしまえば見返されることなどないように、テレビのなかの人たちのことを僕は明日になれば忘れている。

同じアイドルでも夢みるアドレセンス(通称:夢アド)の荻野可鈴ちゃんと、ソフマップのC級アイドルとは違う。同じ深呼吸でも、風薫るアルプスの稜線でする深呼吸と、蒸し暑い夏の日の夕方の公衆便所でする深呼吸は違う。同じパイパンでも、小股の切れ上がったS級女優と干上がって20年の年季が入った婆ちゃんのパイパンは違う。

違うはずなのに。

僕はいつの間にか、違うはずのものをごちゃ混ぜにしてひとまとめに袋で縛って記憶の隅に追いやってしまう。大切なものは、テレビのなかの仮想現実ではなくて、いま現在のリアル。そのはずなのに。今日も僕は家に帰ってテレビを見る。テレビのなかのお笑い番組にあいまいに笑い、テレビのなかのアイドルにささやかに反応し、テレビのなかのニュースに適当に考える。そして、当たり前のように翌日には忘れる。

ラウンドに次ぐラウンドを繰り返すスプレッドシートは30数枚を超えた頃、僕は今日の仕事に見切りをつける。都会の夜は終電車でひとつの区切りを迎える。

PCをシャットダウンし、シュレッダーの電源を落とし、オフィスの灯りを消す。戸締りをして、カギを閉めたことを確認して、キーボックスにカギをしまう。ビルを出ると、地下鉄駅へ急ぐサラリーマンや、できあがった酔客集団、ポケモン探しに夜を駈ける男女。オフィス街はそろそろ本格的な夜を迎える。明日も、あさっても、その次も同じようにして一日は終わっていくんだろうか。

(・・・・・・・そういえば)

僕は、またふと考える。

(世界のナベアツって、いま何しているんだろう)


今日の一曲
夢みるアドレセンス / おしえてシュレディンガー
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by maseda1001 | 2016-07-26 00:09 | Comments(0)

アイドル on my スマートホン

街にポケモンがあふれ出した週末の繁華街、僕のスマートホンはポケモンのポの字もなかった。戦国無双4のガラシャのレベルをMAXにしたにもかかわらず、色あせた日常は相変わらず色彩がないままだったことから、ポケモンをゲットしたところで、僕の心の渇きが癒えることがないことは自明の理であった。

僕のスマートホンには、ポケモンはいない。たぶんこれからもいない。代わりに、僕のスマートホンには夢みるアドレセンス、通称夢アドの荻野可鈴ちゃんがいる。「いる」というのは少し大仰に過ぎるかもしれない。ただ単純に、荻野可鈴ちゃんの画像を待ち受け画面にしているというだけのことで、これが僕のささやかな仮想現実の楽しみ方である。

LINEはめったに来なくとも、着信は業者の営業電話ばかりでも、取るに足らないニュースを大量に提供するニュースアプリしかなくとも、僕のスマートホンはあの待ち受け画面だけで、少しは僕の心に安らぎを、潤いを与えてくれる。

僕はいままで全盛期の指原莉乃(2010年バージョン)のカレンダーを買ってみたり、モーニング娘。時代の石川梨華の下敷きを買ってみたりと、それなりにジャパニーズアイドル文化を嗜好してきた。ライブや握手会に行った経験はなく、コア・ディープなファンとは一線を画すライトなファンではあるけれど、僕は僕なりにアイドル文化を楽しんでいる。で、いまの時代はその楽しみが、夢アドの荻野可鈴ちゃんに向かっているわけで。時代が時代なので、荻野可鈴ちゃんのツイッターもたまに見るし、ユーチューブのMV『おしえてシュレディンガー』のAメロで、可鈴ちゃんが仰向けに倒れたモヒカンのラッパーを人差し指でツンツンと突っつくシーンを見て、この世の救いをそこに見出すわけで。

儚い夢を託して年末ジャンボを買い続ける行為、新興宗教の教祖様を崇めて模造石でできた水晶石を原価の何百倍・何千倍で購入する行為、キャバクラのお姉さんに入れあげてボトルを何本も開けてしまう行為。それらの行為と、僕がアイドルを崇拝する行為は、いずれも(たいていの場合)手に入らないものを祭り上げて切望するという意味でベクトルは同じだ。叶うことのない願望を胸に抱いてしまうこと自体、不合理な行動・衝動であって、理性ある人間であれば、どんなに努力したところで叶わない可能性が大きい願望は持たないはずだ。

にもかかわらず、ある人は宝くじ売り場に通うし、ある人は新興宗教の寄り合いに通うし、ある人はキャバクラに行く。そして僕も例によって可鈴ちゃんのツイッターを見る。ラゾーナ川崎のライブに行きたいと願う。仕事でいけないけど。

まあ、そんなわけで今日も荻野可鈴ちゃんはほほ笑んでくれる。僕のスマートホンで。
「ネクタイ曲がってるよ」
「立派な鼻毛3本出てるよ」
「口臭が腐ったゲロみたいだよ」
とか言ってくれるわけでもないけれど。一応、ほほ笑んでくれる。

昨日、女性とごはんを食べに出かけたとき、店の場所を探そうとスマートホンを取り出した。グーグルマップで店を探そうとした。一緒に歩いていた女性が、僕が取り出したスマートホンを見て、ひとこと言った。スマートホンの荻野可鈴ちゃんを見て言った。

「○○くん、これじゃあ結婚できないよ」って。

たしかにその通りだ。と僕も思った。

昨日の話。
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by maseda1001 | 2016-07-24 12:43 | Comments(0)

BIT

BITを見ているとけっこういろんな驚きや発見がある。「知識の習得は、それ自体が喜びである」とはよく僕が言ったもので、今まで知らなかった事実を知ることはそれ自体がよいものだ。女性にも脇毛が立派に生えることや、30代の未婚者の確率は40代になってもその確率は大して変わらないことなど、世の中には知らないほうがよいことは山とあるけれど。それらの知らないほうがよいことの存在を考慮しても、僕はやはり知らない扉はとにかく開けてみたいタイプの人間のようで。

そんなわけで今日もBITを閲覧してみた。

とある地方のとある町の廃病院が競売に出されていた。土地利用権は借地権。病院の規模は10,000㎡を超える。誰が買うんだ、こんなクソ物件。と思っていたら、案の定、過去2回の入札はいずれも不調だったようだ。数年間未稼働の、それも田舎の病院だなんてもう取り壊すしかないだろう。でも取り壊す費用(2億、3億と思われる)を考えると、更地にそれ以上の価値がない限り誰もこの物件に手を出せないことになる。しかし、この物件は借地であって。

BITにはこれ以外にもクソ物件がわんさか。ムスカ大佐でなくとも、「クソ物件がゴミのようだ」と言いたくなる。

こんな風にして、下には下があることを実感して、今日も僕は安心するのでした。BITのクソ物件のような大人にはなりたくないね、と土曜の夜にひとりでネットしかすることがない男は思うのです。
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by maseda1001 | 2016-07-23 18:31 | Comments(0)

床が傾く

東京の空の星は見えないと聞かされていたけど 見えないこともないんだな
そんなことを思っていたんだ
フジファブリック / 茜色の夕日

今日の東京の夜の空は、なんだか日中に燃え盛った太陽の余韻を惜しむかのように、西の空がぼんやりと薄ら赤くなっていた。おそらく、歌舞伎町周辺のネオンが厚い積乱雲に反射しているんだろう。東京の夜空の下では、ポン引きと酔客のあいだで繰り広げられる食うか食われるかの戦いが今日も飽きもせずに繰り広げられているんだろうと思うと、胸が熱くなってくる。

僕の会社のオフィスは、レスリングの吉田さおりさんが10人垂直に並んだくらいの高さのフロアにある。そのわりに特に景色がよいわけでもなく、ビルの窓辺から見えるのはビルしかないという、シンプルな世界がある。眼下を見下ろせば、アスファルトが通りの突き当りから向こうの通りの突き当りまで伸びている。とはいえ、日中は明滅するPCのディスプレイや、上書きが繰り返されるエクセル、鳴ってい欲しくないときに限ってよく呼び出してくれる電話やらに追われて、街の景色を楽しむ時間はほとんどない。多忙に追われるのが東京スタイルだとすれば、僕はそのスタイルに馴染むことができているようだ。馴染みたいと頼んだわけではないけれど。

とはいえ、サラリーマンにはふと一息つく時間も必要であって。あるひとは外回り中の営業車、あるひとは取引先からの帰りの喫茶店、あるひとは仕事をサボって豪気に個室DVD。いろんな一休みの方法がある。僕はといえば、それはトイレに行って用を足すことがそれにあたる。小便をしながら、ふうっと息を吐き出すことが、かけがえのない休息である。

そして、そのトイレには曇りガラスの小窓がついていて。腰の高さくらいから成人男性の頭の先くらいまでの高さの窓。この窓は、誰が開けたり閉めたりしていのかわからないけれど、だいたいフィフティフィフティの確率で開いている。たぶん掃除のおじさんや、換気が大好きなオフィスワーカーが開けているんだろうと思う。そして、反対に同じくらいの人数だけ、その窓を閉めるひとも存在しているんだろうと思われる。世の中は釣り合いが取れている。

ちなみに、この窓は外開きになっていて、この窓を思いっきり開けた場合、勢い余って窓が開く力に引っ張られて外に放り出されるというリスクがある。万に一つくらいはある。仮にこの窓から外に落ちた場合、立派に死ねることになると思われる。高所恐怖症の僕にとっては、この窓から眼下を見下ろすのはちょっとしたチャレンジであって、股間に冷気がヒュンと通り抜ける感覚をおぼえる。

今日、僕は仕事で失敗をした。その失敗の指摘を上司から受けているとき、僕はその失敗は些末なことであって、目くじらを立てて叱られるようなことではないと思っていた部分があった。ほかのみんなもきっとやってるような失敗であって、それを僕だけがなぜ私的されなければならないのかと自分の非を棚に上げて、自分の悲劇を嘆く姿勢すらあったかもしれない。

しかし、頭を冷やすという言葉があるように、指摘を受けてから数時間後、自己防衛の炎が下火になり、代わりに客観性という名の冷や水をじわじわと浴びせられるにつれて、わかってきた。申し開きができない思慮の浅い行い、要は手抜き。客観的に少し考えると、僕がやったことは「手抜き」の一言で片づけられるずさんなものだった。指摘を受けるのもそれは当たり前な話で、拝み倒してパイパンになってもらった挙句に陰毛のありがたみに気付いてもそれはもはや手遅れなのと同じくらい、残念で情けない話であった。

そしてこれは悪い癖だと自覚しているのだが、一度悪い方向にスイッチが入ると、悪い考え方にとことん入り込んでしまうことがある。一銭の得にもならないのに、上司からの指摘が引き金となり、自分の弱みや、欠点ばかりが思考を支配し、深みにはまってしまうことがある。

今日はまさにそのパターンで、ゴト師に狙われた海物語のように負のスリーセブンが大当たり。被害妄想、誹謗中傷、艱難辛苦。マイナス思考の泥沼にはまる。蚊にさされやすい体質を恨んでみたり、また誘うねと言ったきり連絡をよこさない友達を嘆いてみたり、仕事をバックレて周囲に迷惑をかける妄想で喜んでみたり。

そんなときトイレに行くと、今日は当たりの日で例の外開きの窓は開いていた。窓から入りこんでくる夏のぬるめの空気がトイレの空気と混ぜ合わさるなか、おもむろにイチモツを取り出し便器に小便を放り投げる。頭はマイナス思考で沸騰状態。ふと、僕がたっている地面がぐにゃりと傾くような気がした。床が傾くような感覚。窓の方向へ下り傾斜になって、地面がきしみ、平衡感覚を失いかけた。きっと、このままバランスを失って、窓のほうへ倒れこんでしまえば、次にきづいたときには会いたかったあの人に会えるのかもしれない。このまま床が傾いて、僕の身体がビルの外へ放り投げだされれば、それはそれでひとつの物語の終焉ということで。たいしておもしろい話ではなかったけれど。

そして、いま。家に帰ってきた。フジファブリックの志村くんはああ言っていたけど、今日は東京の空は星は見えなかった。やっぱり東京の夜空は、そんなもんだよね。たぶん。
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by maseda1001 | 2016-07-21 01:01 | Comments(0)

三連休初日に思うこと

三連休の初日。
平日の5日間で課された仕事が終わらなかったサラリーマンが選ぶべき行動は?

A 蒙古タンメン中本からのマンガ喫茶10時間パックで現実逃避
B 戦国無双4のハードモードの全クエストクリアを目指して徹夜ゲームで現実逃避
C 夢みるアドレセンスのライブDVD視聴で現実逃避
(D 仕事する)

僕が選べる選択肢は事実上1つしかない、と思い込んでしまうのは僕がきっと生まれもって真面目一徹の仕事人間だからなんでしょう。きっと僕がラーメン屋経営したらスープの寸胴の前で10時間、延々とスープを見つめ続けた挙句、できあがったスープのまずさに絶望するタイプです。

30過ぎて、周囲は結婚し、子供ができて、だんだん共通の話題もなくなってきたのが悲しい。ユニコーンの『すばらしい日々』の「ぼくらは離ればなれ たまに会っても話題がない 一緒にいたいけれど とにかく時間が足りない」を地で行くような展開に思わずにっこり。笑ってられるのも今のうちだけだよね。

せめて3日間のうち、1日は休めるように、いまから勤め人になります。西部戦線で、いつ終わるとも知れぬ戦争の終結を待ちながら頭上に銃弾が飛び交う塹壕の中で身をひそめる哀れなドイツ兵のように、僕も待ちます。寝て食って、仕事せずに堕落して生きていける世界の到来を。

今日の一曲
ユニコーン / すばらしい日々
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by maseda1001 | 2016-07-16 11:28 | Comments(0)

サボることについて

僕はどんなに忙しくても毎クールに2、3本程度はテレビドラマを視聴している。律儀に録画してまで見ている。というか、テレビ放送している時間に家にいることがめったにnothingなので録画しないと視聴できない。おかげさまで、働いています。青息吐息。

前クールに放送していたドラマで印象に残ったのは、クドカン、あと松潤の弁護士のやつ。クドカンのはあの教育実習に来た先生がかわいかった。悦子先生で童貞を捨てられるなんて、彼はその後の人生で肥溜めに10回落ちても落ちたりないと思った。松潤のはカメラのコマ割りがあまりに多すぎて酔うのと、内輪しかわからない小ネタを多用して、見ている側を置いてけぼりしてくれる頻度があまりに多いので参った。まあなんだかんだ最後まで見た、榮倉奈々見たさに。

あと、あれも見た。昼のセント酒。リーマンが仕事さぼって、昼から銭湯で風呂に入り、風呂上りからのビールを決め込むアレ。あのドラマは、あれだね。仕事サボった経験のあるリーマンなら誰しも経験する、サボってるときに鳴る携帯電話の憂鬱さ。あの特大の憂鬱さを思い起こさせる。この世の憂鬱の5本の指に入るといわれる仕事サボり中に鳴るケータイ。

サボる側にもサボるなりの理由があってサボっているわけで。前日に徹夜でパワプロして寝不足だとか、前日に徹夜でエロ動画を見ていて寝不足だとか、前日に徹夜でyoutubeに投稿する動画を撮影していたとか。いろんな理由があって、危急に迫られてサボっているわけで。そのある種、見方を斜め45度傾ければ高尚とさえ言えるかもしれないサボりに対して、それをとがめるかのように鳴るケータイ。そして、えてしてサボり中にケータイを鳴らす主といえば、鬼のように怖い上司だったり、鬼のように怖い取引先だったり、鬼のように突き上げしてくる後輩だったり。

サボりモードで、テンションがオフになった油断を突かれた恐怖と、快眠を妨げられたことに対する苛立ち、周囲が労働しているなかで自分だけが甘い蜜を吸っていたことに対する自己嫌悪、それらのマイナスの感情が一気にサボリーマンを襲う。

そんな経験、サラリーマンなら誰しも経験があるはず。二度と味わいたくない、あの感情。

思うに、昼のセント酒を制作した方々は、みんな仕事に対してまじめに取り組む方々ばかりで、このドラマを視聴する側の人がどんな感想を持つかを想像できなかったんだろう。ふつうのサラリーマンは、このドラマを見てきっと思う。なんで、仕事サボったときのあの悪い記憶を思い出させるんだよ、と。

誰だって好きで仕事サボってるんじゃない。誰だって、やるべき仕事は早く終わらせて、それなりに成果を上げて堂々と定時に帰りたい。しかし、営業成績があがらない、経理の伝票間違えて処理してしまった、営業2課長のカツラを公衆の場で指摘してまったなどの理由で仕事がうまくいかず、やむをえず現実逃避しているときがあるのだ。

それなのに、あのドラマの主人公と来たら、毎週毎週、営業成績最下位にもかかわらず、理解に苦しむ理由を自分でつけて、退役した老人たちに交じって笑顔で銭湯に浸かる。プハーっとか言いながら。そして、銭湯だけでは飽き足らずビールを飲む。勤務時間中に。死んでしまえよ、と思う。同僚でそんな奴がいたら、俺はそいつの机の引き出しにあるシャープペンシルの芯という芯を全部ポキポキっと折ってしまうだろう。いや、それだけでは満足できず、その同僚のデスクトップをプリキュアの壁紙に変えてしまうだろう。

それくらい、僕はあのドラマの主人公に対して我慢がならない。しかも、金曜日の深夜、という仕事終わりの一息つくころにあのドラマが放送されるのは、まじめに働いた者への皮肉的な何かかと邪推してしまう。

そんなことを思いました。新幹線のサンドイッチ(特にハムサンド)がおいしくなった今日この頃、そんなことを思いました。

今日の一曲
夢みるアドレセンス / おしえてシュレディンガー
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by maseda1001 | 2016-07-14 00:49 | Comments(0)

センチメンタル過剰な街

仕事でひさしぶりに某学生街へ行った。大学4年間を過ごした、あの街へ。クリスマスが近づくたびに、4畳半のワンルームの布団のうえでガタガタと孤独に震えていたあの街へ。巣鴨恋だか、大塚愛だか、それ系の女性シンガーが愛するふたりをさくらんぼに例えたあの時代、僕は馬群に埋もれて、それでいて抜け出す気もないという始末の悪い学生生活をエンジョイしていた。アディダスのジャージが流行の最先端だと信じて疑わないピュアネスを武器に、片思いのあの子に3回付き合ってくださいと迫った挙句にきれいに3タテを食らうという予定調和な日々に、ジャックダニエルをストレートで瓶飲みしたこともあったっけ。

そんなことを思い出しながら、ウワサの学生街を歩くと、たいして仲良くもなかったゼミの同期と一緒に食べた激辛カレーの店や、サラリーマンにまみれてもやしそばを食べた中華料理店、あるいはその異様な臭気と形状から何の肉を使っているのか邪推せずにはいられない唐揚げ弁当を提供する弁当屋を横目に街を歩く。

仕事の用件を逃げるようにそそくさと済ませ、蒸せかえる暑さのなかを水道管のために道路を掘り返す土木作業員さんにアイコンタクトをとりつつ、地下鉄の駅へ向かう。学生にとっては、7月上旬というのは前期の試験前でそろそろ足りない出席をカウントしたり、試験対策のノート集めに取りかかったりする時期だったろうか。たしか7月後半から8月頭にかけてが試験だったはずなので、間違いないと思う。昼過ぎに学生街の最寄り駅へ向かうと、3限から出席する重役登校の学生たちがわらわらと地上へ出てくる。

僕が学生だった頃、10年後に自分がこうしてここに戻ってくるなんて予想はできただろうか。もう平成28年も半ばというのに、斎藤くんは相変わらず口だけが達者だし、広末さんはキャンドルだし、東国原さんはどげんかしたんだかわからない。オリンピックが4年後というけれど、それはそれ、これはこれ。オリンピックがだれかの生活を良くしてくれるなんて思えるとしたら、それは楽天的に過ぎるというもので。見た目は明らかにウンコそのものなのに、カレー味のうんこと言われて口にしたら、やっぱり紛れもないウンコ味のウンコだったなんてオチを見せられるようなもので。

学生時代には想像しなかった今にいる。学生時代のあの街で思い出す、あの頃の自分。そして思う、現在の自分。あの頃の自分の想像力の欠如なのか、あるいは見聞の不足か。いまの自分はあの頃はまったく想像できなかったなあ。

今日の一曲
夢みるアドレセンス / おしえてシュレディンガー
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by maseda1001 | 2016-07-06 23:23 | Comments(0)