背伸びせず、卑屈にもならず。そんな風に書きたひと思ふをとこありけり。
by maseda1001
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シュレディンガーの憂鬱

地球のわりと反対側、英国がEU離脱という大きな決断を下した。そして地球の正面(あえて言うならセンターオブユニバース)において、僕にも一大転機が訪れていた。そう、この世に生を受けてから都合5726回目のコンビニエンスストア入店を果たしていた。

コンビニ。

いつかこんな時が来るんじゃないかと思っていた。人が人として生きていくためには、どうしても避けては通れない道がある。田舎の父ちゃんも母ちゃんも、じっちゃもばっちゃも、通った握手会でかったるそうに手を握ってくれるアイドルも、一言も教えてくれなかったけど、僕は知っていた。いつかこんな時が来るんじゃないかって。

コンビニ。

昨日の晩ごはんを思い出せないのと同じレベルで、僕は代わる代わるコンビニを出たり入ったり、入ったり出たり。ときに、トイレを、ときに立ち読みを。気まぐれにレジのなかに入ってPOSレジの20代女性のキーをタッチして悦に浸り。最終的には108円の芋けんぴを手にとり、誰もいないカウンターに並び。

コンビニ。

僕はいったいなにをやっているんだろう。僕はコンビニに行く。僕は毎日コンビニに行く。それこそ、レイクのCMに出てくる「僕」みたいに、パン買ったり、お茶買ったり、柏木由紀の鼻ニンニクで炒めものを作る妄想をしたり。そんなふうにしてコンビニに行く。毎日行く。一日2回、下手したら3回行く。

コンビニ。

僕はコンビニに行く。セブンイレブンに行く。ファミリーマートに行く。ローソンに行く。福岡に行けばポプラに行くし、北海道に行けばセイコーマートに行く。風に吹かれてタイに行けば、ファミリーマートで砂糖入りのお茶を買うこともした。

コンビニ。

5276回目のコンビニにて。僕に訪れた一大転機。レジのカウンターにて。
店員「ポンタカードはお持ちですか?」
ぼく「いえ、だいじょうぶです」
店員「雑誌は袋分けますか」
ぼく「いえ、だいじょうぶです」
店員「ポンタカードはお持ちですか?」
ぼく「・・・・・・。いえ」

『まるでループものだわ』って夢アドの京佳ちゃんが歌ってくれるならば救いはあった。でも、僕の目の前に夢アドはいないし、いるのは同じセリフを2度発言したことを気付かない店員さんのみ。もしかしたら、一度目のポンタカードの有無を問うたセリフは幻聴かなにかの類いなのかと自分の記憶を振り返りたくなるほど、店員さん自身は違和感なくサッカー業務に勤しむ。

僕はポンタカードを持っている。数年前にゲオで作ったポンタカード。家に帰れば戸棚のどこかに眠っている。でも、いま僕が住んでいる街にゲオはない。だからポンタカードは持ち歩かない。同じように、Tカードも持っているけど、持っていない。nanacoは持ってない。

僕はコンビニに行く。毎日のようにコンビニに行く。でも、僕はコンビニになんか行きたくない。コンビニで買うカップラーメンや、コンビニで立ち読みする雑誌、コンビニでやり取りするポイントカードは所持していない旨の意思表示。それらもろもろ。うんざりする。

僕はコンビニにとっていったいなんなんだろう。レジのカウンターで、硬貨と紙幣を媒介して、よくわからない添加物を満載した商品を手に入れる。そこにあるのは、等価交換。コンビニにとって、僕は紙幣と硬貨を運搬する顧客A。ときに、BかC。僕は僕であるにもかかわらず、僕は匿名のAになる。

嫁が欲しい。

こういうとき、思う。モテないってのは、自分自身に対する犯罪に近いって。時に親や、育った環境を恨みもするけど、寝て起きればまた何も変わらない明日が来たりなんかして。そして罪が倍々ゲームで雪だるま式にふくらんで。ふくらんだ罪がもはや自分自身を支えきれないほどにパンパンに膨らんで。そんなときに、芸能人がただうまいものを食って感想言うだけのテレビショーなんか見て一日終わらせたら、僕はたぶん悔やむんだろうな。残念ですって。
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by maseda1001 | 2016-06-28 23:16 | Comments(0)

落書き

google mapのストリートビューで、とある埼玉県のとある越谷市のとある市街化調整区域の土地を調べていたら、建設業者の資材置き場のスチールフェンスに黒いスプレーでいかにも中学生が書きましたというような汚い落書きがあった。

「マ○コ上等」

って。臆することなくbombingされていた、卑猥なことば。公衆便所や、人通りもまばらな場末のトンネルならいざ知らず、田んぼにぬるめの風が生暖かく吹き抜ける田園風景に投下されたマ○コという名の爆弾。ストリートビューでその光景を見て以降、ぼくの心はなぜかさざ波が広がるようにあわだち、その静かな波紋はやがて10代のニキビのように心のひだに拡散した。

いまは2016年。SNSというエレクトリカルウォッシュルームの発達とともに、街から落書きは減った。1990年代に社会問題化し、あれほど人々を嫌悪させた落書きも、いまはすっかりブームが下火になった。

そんなおとなしくなった現代に向けた宣戦布告ともとれる「マ○コ上等」という落書き。田園風景といえども、越谷市は人口30万人。草加市の存在を無かったことにする大胆さを持ち合わせた剛の者であれば、東京の隣と言い切ることもできるアーバンシティである。そして、付近には民家やコンビニ、小学校だって半径300m内にある。青少年の健全な発展のためには、あまりにリスキーな落書き、「マ○コ上等」。

いくらインターネッツにエロ動画が氾濫する昨今といえど、高速立ちバックのなんたるかやアナル十字舐めの深淵さすら知らない少年少女が通学時に目にする危険性が大である。僕は、ストリートビューでこのリスクを瞬時に理解し、そしてそのリスクのあまりの大きさに思わず立ちすくんでしまう。夢みるアドレセンスの『おねがいシュレディンガー』のAメロで荻野可鈴ちゃんに指でつつかれるモヒカンのラッパーのごとく、その場に卒倒してしまいそうになる。

この「マ○コ上等」の文字を目にした小学生は、家に帰り母親にこう問うだろう。
「ねえ、マ○コ上等ってどういう意味?」
僕はその恐ろしい風景を想像しただけで、布団をかぶって世の中の光をすべてさえぎってしまいたくなる。3日3晩かけて用意したプレゼン資料を3秒で突き返されたあの日のように、逃げ出してしまいたくなる。

そして、今日、気付いたら僕はとある埼玉県のとある越谷市のとある市街化調整区域にいた。確かめずにはいられなかったのだ。そのリスクがいまだリスクとして現存しているかを。

「マ○コ上等」

そこにはあった。圧倒的な存在感で、消えることなく、消されることなく、そのスプレーで書かれた暴虐の徒は鎮座していた。ストリートビューの撮影から1年以上、残されている計算になる。僕は、その光景に唖然とする。王様のブランチとTOKYO WALKERのみを情報源として与えられる人間がいると仮定して、そんなメルヘンハードコアに浸りきった人間が、埼玉の片田舎の建設業者の資材置き場の卑猥な落書きを目にさせられたら、たぶん彼・彼女の自我は一瞬にして崩壊して自決の道を選ぶだろう。北越谷駅の急行通過列車にダイブして、木っ端微塵になるだろう。

僕は思う。

西麻布、恵比寿、吉祥寺、みなとみらい、丸の内。そんなところにいたら一生目にできない光景。

「マ○コ上等」

「上等」という単語は、どんな意味を持ちのだろうか。
いたした彼女の具合が「上等」だったのだろうか。
マ○コでもおっぱいでも、なんでもかかってこいや、「上等」だぁという虚勢だろうか。
あるいは、本題はマ○コの3文字で、あとの二文字は氏名という説もありえる「ウエ・ヒトシ」。

まあ、真相はわからない。村井英夫が殺された理由も、栗田艦隊がレイテ島を目前にして反転した理由も、ももクロの輝きが色あせた理由も。世界にはわからないことが多すぎる。

越谷で見た、卑猥な落書き。僕は、今日も熱に浮かされている。まぶたを閉じれば、いまも浮かぶ、「マ○コ上等」。夕日を背景に潮騒に耳をすませてたたずむカップルの2人に耳打ちしてあげたくなる魔法のことば、「マ○コ上等」。ウ○コでもなく、チ○コでもなく、ましてやPARCOでもない。マ○コ。

ああ、どうすればこの気持ち、しずめることができるだろう。
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by maseda1001 | 2016-06-26 00:45 | Comments(0)