愛が消えた街で

誰かを心の底から愛したい。

目に入れても痛くない、そんな孫のような愛しい人。砂漠の真ん中で、あるいは遭難した森の中で、最後の飲み水を全部飲み干されてしまっても、なんだかんだ笑って許してあげられるような、それほどまでに守りたい人。キリンジの『君の胸に抱かれたい』と、スピッツの『君と暮らせたら』と、エレカシの『極楽大将生活賛歌』を3曲連続でアカペラでささげたくなるような、そんなふうに愛しい思いがあふれてしまう人。

振り返れば、ああ、いつ以来だろう。

もう何年も忘れている。誰かを好きになって、恋に焦がれて、それこそヤケドしそうなヒリヒリ感にやられてジャックダニエルをストレートであおってしまうような夜を。誰かを欲した挙句に、自らの不出来を嘆き、そして最後の手段として思い立った末に机に向かい、恋文をしたためた夜を。好きだという気持ちだけで、好きなあの子の名前をつけたキャラクターでパワプロのサクセスモードにチャレンジし、パワー255のパワーヒッターを完成させた夜を。

もしかしたら、そういうのは10代後半から20代前半までの、ある期間のみに訪れる時限付きのたぐいのものかもしれない。秋の訪れとともに消えていく、夜店の焼きそばのにおいみたいなものなのかもしれない。だとしたら、僕はとても寂しい。そしてつらい。

人間関係は面倒で、どこまでいっても正解はみつからない。右に行けば、左に行けばよかったのにと後悔し、さりとて左を選んだとしても右をうらやましく思ってしまう。結果、とりあえず無難なほう、流れるほうに行ってみる。行きやすいほうに行く。川の流れに翻弄される木の葉みたいなものだ。たいていのことはそれでやりすごすことができる。

でも、果たしてそれで僕が得たものはなんだろうか。

流されて、それからさらに流されて。たどり着いた先でいったい何が見つかるというのだろう。本当に見たかったものは、流されるほうにあるとは限らないのに。というか、たぶんそっちじゃない。流された易しいほうは、結局、怠惰の渦で溺れる方向であって。きっとたぶんそうなんだけれど、抗うべきときには抗ってみて、自分が行ってみたい、ここは勝負すべきだという場面では、戦うことを選ぶべきなんだろう。

そこでふと思ってしまう。

戦ってまで、リスクを背負ってまで、転落するような恐怖を抱いてまで、そこまでして挑む価値のあるものってなんだろう。それってどこにあるんだろうか。いつやってくるんだろうか。そこで立ち止まって、袋小路の3丁目。

恋に破れて身を滅ぼした『こころ』のKが、うらやましい。始末が悪いことに、わりと本気でそう思う。そんな夜更け。

今日の一曲
キリンジ / Drifter

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# by maseda1001 | 2017-06-13 00:11 | Comments(0)

スタンソン・ジュニアの憂鬱

ママが10セント安い玉子を調達するために隣町のグローサリーに出かけていくと、バーモント州ニューシンシナティ在住のブラッドレー家には留守を任されたスタンソン・ジュニア(12)以外には誰もいなくなった。穏やかな春の南風がルート66沿いの屠殺場から漏れ聞こえてくる畜生どもの断末魔の金切り声を運んでくれていた。

ママのくたびれたGMCがガレージから出発していくのを子供部屋の小窓から見届けたスタンソン少年は、小走りにガレージへと向かった。ここ数日、スタンソン少年はこの時が来るのを待ち焦がれていた。

(チャンスは今しかない・・・・・・っ!)

スタンソン少年には、アレを実行するには専業主婦のママが隣町まで出かけた今しかチャンスがないということがわかっていた。腰掛けOLを3年経験したのち、合コンで知り合ったパパと結婚して寿退社したママにとって、生きる楽しみは、1人息子であるスタンソン少年の健やかなる生育と、1セントでも安く玉子を調達すること、その2つしかなかった。したがって、平日・休日を問わず、スタンソン少年が母親からの束縛を逃れる機会はほとんどなかった。母親の溺愛という名の呪縛は、スタンソン少年に安息を与えることを許さなかった。

朝はママのモーニングコールから始まり、ママの作ったハニー入りオムレツを食べて、ママの運転するGMCでエレメンタリースクールへ出かける。そして、学校が終わればやっぱりママがGMCで彼を迎えに来てその日学校で起きた出来事を報告するように求める。家に戻ればママの作るパンプキンパイを食べながら学校の課題に取り組み、夕食はママと2人で顔を向かい合わせて食べる。シークレットエージェントのパパはほとんど家に戻ることがなかったため、スタンソン少年は否が応にでもママとつきっきりで生活をすることになった。

年齢のわりに精神面での成長著しいスタンソン・ジュニアにとって、この環境が息苦しいと感じてしまうのは自然なことだったのだろう。ママのパンプキンパイが甘すぎると感じ始めた頃から、スタンソン・ジュニアはママの愛情をうっとうしいと感じるようになっていた。10セント安い玉子を買い求めるために、ガソリン代を消費していることに気が回らないママに対して、ある種の軽蔑を覚え始めていた。

(だいたいおかしい。カネの面でもまったく非合理的じゃないか。ガソリン代を考慮すれば、10セント安い玉子を買いに隣町へ出かけていくことの愚かさはわかるはずだ。それに、隣町まで運転する時間だってもったいない。その時間分、屠殺場の事務員のパートでもやれば、うちの家計はだいぶラクになるはずであって、まったく理にかなっていない。まったく、ママは、ちょっとばかり巨乳で男好きするカラダしているばかりに、苦労せずに人生を渡ってきたからこうなんだ。ぼくはママのような女とは結婚しない。屠殺場の事務員をやっている、そばかすだらけで見てくれは多少劣るけれど、ヒップがいい具合に成熟しているベリーサ女史のような方と僕は結婚したいものだな。)

尻フェチであるスタンソン少年は、そんなことを思いながら階段を下り、ガレージのドアを開けた。母親の愛情はある一定の年齢に達した男子にとって、時に重荷になりうるものなのだろう。ガレージはママのGMCが行きがけに吐き出した排気ガスのにおいがほのかに残っていた。

ペッと唾を床に吐き掛け、スタンソン少年はガレージの片隅に無造作に置かれている朱色の工具箱を手に取った。このなかにスタンソン少年が後生大事にしているアレが保管されている。ママの監視の目があるあいだは決して開けることができないパンドラの箱、それがこの朱色の工具箱であった。もともとは、スパナやらクレ556やらが入っていたのだが、ママはDIYの面倒を嫌っていたし、パパはしばらく帰ってきていないため、この工具箱を開け閉めする人間はスタンソン少年以外いなかった。

スタンソン少年は、心の奥底からこみあげてくる衝動に欲望を抑えることができない。今まさに、朱色の工具箱・パンドラの箱に手をかけた。この箱を開ければ、彼が待ち焦がれた甘美の宴が始まる。そして、ママの監視から逃れた解放感をブースターにして、その宴を心ゆくまで楽しむ。甘美の宴への期待がどうしようもなく高まり、スタンソン少年は胸の鼓動が早まっているのを感じた。

(抑えるんだ。欲望を抑えるんだ。僕はこれから70年、あるいは80年生きていかなければならない。それはすなわち自分の欲望と70年、80年付き合っていかなければならないことを意味しているんだ。したがって僕は欲望とgood friendにならなければならない。決して欲望と敵対してはならない。欲望に抗うようなことになってはいけない。欲望とは、それすなわち影。自分の心象を太陽にかざしたときに地面に映る漆黒の精神活動。欲望に自らの精神を預けてはいけない。暗黒面に落ちたダース・ベイダーを例に挙げるまでもない。欲望は自ら飼いならさなければいけないんだ。主従関係を明確にしておかなければならないんだ。あくまでも主たるは僕の理性、そしてその理性に従うべきが従たる欲望。このことを肝に銘じておかなければならないんだ・・・・・・。)

スタンソン少年は、深呼吸をした。マリアナ海溝まで届きそうなほど深く、そして静かな深呼吸だった。この自制心、そいて落ち着きこそがスタンソン少年をスタンソン少年たらしめている。彼は12才という彼の年齢相応に、無垢であり、そして聡明であった。そしてそこがまた彼の弱点でもあった。自らの精神世界への没入に興じるあまり、彼は気づくのが遅れた。普段の彼であれば、とっくに気づいていたはずのママのGMCの帰還に。

「早すぎるっ・・・!!」

たしかに早すぎだった。隣町のグローサリーショップまでは12マイル。玉子を購入し、戻ってくるまで、少なくとも60分はかかる。スタンソン少年にはミニマムの60分に加え、「10セント安い玉子を買えた私」をインスタにアップする時間も加わるはずという目算があった。したがって、60分のあいだに仕込み→致す→撤収を行い、万一の予備時間として10分を確保しておくという計画だった。

それがどういうことだろう。ママのGMCが出かけて行ってからまだ10分も経過していない。いったい何が起こったのか。スタンソン少年は知る由もなかったのだが、ママはGMCに乗った直後、突然ウェンディーズのダブルを食べたくなったため、自宅の戸棚にしまったウェンディーズのクーポンを取りに家に戻ることにしたのだった。スタンソン少年にとって気の毒なことに、彼はまだ若すぎた。「気まぐれ」という名の一部の女性に多い気質(それはとりわけ純粋な男性諸氏を困惑させる)を、スタンソン少年は予測することができなかったのだ。

ウィーーーーン

ガレージの自動シャッターが上がり始めた。ママのGMCがシャッターが上がるにつれて姿を現していた。スタンソン少年は朱色の工具箱を両手に持ったまま呆然と立ち尽くすしかなかった。なんてことだろう。計画は失敗に終わったのだ。

「あら、スタンソン。どうしたの?そんなところに立って。随分と藪から棒にすぎるわよ。あなた学校の課題はどうしたのよ。ブラウン先生からフィッシャー方程式についてレポートをまとめておくように言われたんでしょう。関連して、米国、EU、日本の利子率の相関関係についてもGDPとの対比にも触れた上で、A4用紙15枚にまとめて明日発表するんでしょう。」

「はい、ママ。ですが・・・」

スタンソン少年にはもはや言い訳は思い浮かばなかった。無条件降伏だった。俎上の鯉となったスタンソン少年の命運は、ママの手にゆだねられたのだ。

(本田望結ちゃんは、フィギアの道を歩むのか、それとも女優の道を選ぶのか。あるいは、二刀流もありうるのかなぁ・・・)

そんなことを考えながら、スタンソン少年は、ママが言い渡す判決を待った。秘密裏に行うべき行動が露見してしまった以上、残された選択肢はなかった。

「・・・・・・スタンソン。あなたはいったい、ガレージでなにをしようとしていたの?」

「はい、ママ。」

「・・・・・・スタンソン。あなたが大事そうにかかえているのはパパの工具箱よね?いったい工具箱で何をしようとしていたの?」

「はい、ママ。」

「・・・・・・スタンソン。あなた、まだDIYをするには少し身長と腕っぷしが足りないはずよ。」

「はい、ママ。」

「・・・・・・スタンソン。おお、かわいい私のスタンソン。こたえておくれ、スタンソン。」

「はい、ママ。」

「・・・・・・。」

「はい、ママ。」

ママはそれですべてを悟ったらしかった。にっこりとスタンソン少年に微笑み、そしてGMCに再び乗り込んだ。ウェンディーズの割引クーポンのことはあきらめたようだった。スタンソン少年は、GMCに乗り込むママの頬を涙が伝うのを見た。

そして、それがスタンソン少年が見た、ママの最後の姿になった。


今日の一曲
ももいろクローバーZ / 仮想ディストピア

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# by maseda1001 | 2017-04-30 23:25 | Comments(0)

オチのある物語

人生には、酸いも甘いもあるらしい。

「酸いも甘いも嚙み分ける、そんな風になってこそ一人前のオトナだよ」だなんて立派なオトナであるA氏(39才・バツイチ・独身・趣味:風俗)はおっしゃる。

「酸いも甘いもあるんだとしたら、甘い部分の上澄みだけすすって生きていきたい」だなんて僕は思う。言うんじゃなくて、思う。面と向かって言うとA氏に角が立つので、思うにとどめる。いくら甘ったれた根性ぶら下げて30余年とはいえ、燃えるごみと燃えないゴミを分別することはできる。

思うにとどめた僕に対して、A氏は畳みかける。左ジャブを2回試してみて、いよいよ右フックがさく裂。

「キミ、人生なめてるよね。」。身構えてガードをしようとしたが、間に合わない。A氏の右フックがさく裂。人生なめてるよね、だなんて言われたのは初めてだった。

(こいつ、人生なめてんなー)って内心で思われたことは幾ばくかあることは自負しているが、面と向かって言われたのはこのたびが初めてである。ガビョーン、である。

たしかにそうなのである。僕は人生なめていた。アナルはなめたことないけど、人生はなめていた。したがって、A氏の指摘・糾弾はまったく的を得ていた。具体的に述べると関係各所に差しさわりがあるため詳細は延べないが、僕は人生をなめていた。なめる部分があるならば、極力なめてきた。なめまわしてなめまわして、しまいにはペロペロの度が過ぎて、なめることができる部分が溶けてしまったこともしばしば。アナルはなめたことないくせに。なんたる強欲。なんたる怠惰。なんたる無気力。嗚呼。

僕は反省し、努力することに決めた。A氏が僕の甘え腐った根性を叩きなおしてくれたのだ。

やった。僕は生まれ変わった。ついに僕もハイパー努力系真人間になることができたのだ。念願かなって真人間になった僕は、ガンガン飛び込み系の使い捨て営業職を絶賛募集していたブラック企業の採用面接を受け、過去の職歴をさんざんに罵倒された挙句、お祈りメールを頂戴し、絶望して、千葉の夷隅川に入水自殺して死んだ。



今日の一曲
くるり / 宿はなし

PS
大学生の頃、好きだった松屋の店員さん(Kさん)が好きだったバンドが「くるり」。岸田繁のようなメガネ男子が好きだと言っていたKさん。ミスチルとモーニング娘。しか知らなかった僕は、好きな女の子が聴いてるんだからきっとすごい音楽に違いないと熱く信じ、さっそく近所のCD屋(今はなきレコファン)に駆け込み、くるりの2ndアルバム『図鑑』を購入した。ああ、これで憧れのKさんと会話するきっかけができるとウキウキでCDをMDに落とし、MDウォークマンで通学時に聴いてみる。すると、不思議なことにさっぱり良さがわからない。周囲の友人には不評のKさんの笑顔の可愛さ・可憐さは理解できても、なぜだか「くるり」のよさはよくわからなかった。やはり僕は名もなき詩でシーソーゲームして最後にハッピーサマーウェディングするしかないのかなぁ、とちょっぴりしんみりしていたが、徐々にわかってきた。「くるり」の良さが。Kさんと話を合わせるために、頑張って聴いているうちにわかってきた。これがスルメソングってやつか、と、ひとりで納得。そのうち、ほかのアルバムにも手を出すようになってきて、しまいには当時発売されていたくるりのアルバムは全部そろえた。「デビューシングルの『東京』のコード進行が、くるりっぽいよねー。クリストファーはデブだよね。大村達身はハゲてるけどフライングV似合ってるよね」とか、くるりに関するそれっぽいセリフもしゃべれるようになってきた。そんなこんなで、くるりのことは全然関係ないけれど、その後Kさんにはフラれた。チューすらできなかった。無念。

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# by maseda1001 | 2017-04-29 00:44 | Comments(0)

今という一瞬を

明日にはミサイルのおかげでこの世にはいないかもしれないこのご時世。写真に撮っても振り返って見返す機会はやってこないかもしれない。ならば、写真なんか撮ってる暇はない。昨日起こった失敗を教訓にしても、挽回するチャンスはやってこないかもしれない。ならば、コツコツ勉強してる暇はない。明日の自分をよくするために食事制限、ランニング、ライザップをしても、シェイプアップした自分を褒めてくれるひとはいなくなるかもしれない。ならば、ダイエットなんかしてる暇はない。

今という一瞬を楽しみたい。今この瞬間こそが大事だ。今こそ人生の悦びを味わうとき。

そんなこんなで、中村屋のおかきを2袋食べ、冷凍ピラフをチンして食べ、デザートにドーナツを豆乳ガブ飲みしながら胃に流し込む。23時50分。

夕食に食べた親子南蛮そばもうまかったが、少しばかり量が足りなかった。その結果がこのザマ。明日が来ないかもしれないとか、思ってもいない言い訳を自分に言い聞かせ、むさぼる夜食の甘美なことよ。うまいことよ。

おかきを1袋食べ始めた時点で気づくべきだったんだ。あるいは予想しておくべきだったんだ。そのリスキーな行いの結末を。

予想外にうまい、中村屋のおかき(バラエティパック)。ときに、梅塩、ときに醤油、ときにチーズ、ときに海苔。さまざまな変化球と、たまにど真ん中に投げ込まれるストレート。いけるじゃないか。うまいじゃないか。そう思ったのは23時30分。Youtubeで、東京事変の『閃光少女』を聴きながら、おかきに伸びる右手は止まることを知らなかった。そして、1袋目を空けた時点で、すでに予定調和と化していた2袋目への突入。それ以降はまるでYoutubeのミックスリスト自動再生のごとき、シームレスかつスムーズななめらかなステップで、冷凍庫を開けて冷凍ピラフを電子レンジに突っ込む。すでに後悔は僕の胃袋をなかば覆いつくそうとしていたが、それでも止まらない食欲の業の深さったらないね。レンチンしてから、平皿のピラフが跡形もなく消え去るまでにそれほど時間はいらなかった。最後にデザートのドーナツ。ドーナツの甘さを豆乳が中和。ドーナツとコーヒーも悪くないが、やはりドーナツには豆乳かな、などとひとりで納得しながら豆乳をガブガブとのどを鳴らしながら飲む。ドーナツもこの世から消えてしまった。

そしていま、日付を越えた。

昨日の自分はすでに過去の自分となった。今いるのは口の周りにドーナツの甘い匂いがほのかに残り、胃袋のなかにおかき、ピラフ、ドーナツ、豆乳を満載した自分。後悔がミックスされて、胃の中はもうわけがわからない。

ミサイルはいつ飛んでくるのかしら。

今日の一曲
東京事変 / 閃光少女

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# by maseda1001 | 2017-04-26 00:11 | Comments(0)

近所の中華屋さんで

先週、麻布十番で焼肉を食べた。しかも、1回でなく、2回。週に2回も麻布十番で焼肉を食べてしまった。こんなことはたぶん僕が二足歩行を始めてからかつて無かったことだし、これから棺桶に入るまでの間を見通してもおそらく二度とない。焼肉を週に2回食べることですら家計に対する暴挙といえるが、場所が麻布となってしまうとさらに始末が悪い。

さらについでに言うと、たいして高くもない給料にもかかわらず、二度とも多めに払ってしまった。後輩に対して見栄を張りたい、女性に対して見栄を張りたいという、己の虚栄心の儚さよ。そして一向に増えない貯金残高。年齢はかさんでいくのに、ある一定のラインできっかりと上昇をやめてしまった僕の預金口座はなにかしらの「からくり」みたいなものがあって、あるいは誰かの陰謀によって残高増加を放棄してしまったのだろうか。残念です。

それにしてもここ数日思ったのは、自己中心的なモノの考え方で凝り固まって、自分の欲望を満たすことを行動指針にしていると、あまりモノゴトはうまく進んでいかないようだということ。自分の脳みそが生み出す欲望は、結局のところ自分という身体の入れ物しか操ることができない以上、自分で解決可能な欲望以上の欲望を感じてしまうと、欲望が解消できないというジレンマに陥ってしまう。自分の脳みそは他者の行動を操ったり、制約したりすることができない以上、他者が介在しないと実現不可能な欲望を持つことは健全ではないし、合理的でない。それでも飢え乾く我が欲望の貪欲さったら、困ったもんだ。自らの欲望という名のトラに自我を食い殺されてしまった哀れな李徴をひきあいに出すまでもなく、欲望を押さえつけ、あるいは飼いならし制御することは難しい。この欲望とあと何年、何十年、一緒に付き合っていかなければならないのだろうか。

あと、無気力、覇気の無さ。これもよくない。非常によくない。死んだ魚の目をした営業マンが売ることができるのは同情心だけで、哀れみだけは恵んでもらえるかもしれないけれど、本当に売りたいもの、あげたいものは、買ってもらえないのは目に見えている。にもかかわらず、なぜ僕はこうして無気力を外部に発散し、覇気を消沈させて得意になっているんだろうか。やめたほうがいいと思うよ、ホントに。

救いがあるとすれば、マンションの向かいにある中華料理屋の中華そばがおいしいってことに気づいたこと。食べログの点数とか、ラーメンWalkerに掲載されたとか、そういう情報もいいけれど、たまには自分で探してみるのもいいものかもしれない。意外に近くに、おいしいラーメン食べることできる店があったって気づいた。その事実に気づいて、僕は少しだけ泣きそうになりながら、ラーメンをすすった。ていうか半分ベソかいてた。夜の7時30分。客は僕だけ。住宅街の中華料理屋で、ラーメンを食べながら泣きそうになるリーマン。メンマがしゃきしゃきしてて歯ごたえがいい。流れる涙は、メンマに免じて許してもらおう。

今日の一曲
東京事変 / 群青日和

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# by maseda1001 | 2017-04-17 21:01 | Comments(0)